2008年06月30日

輝かしい憲法第九条の精神

みなさんは、我が国の憲法第九条について、どのように考えているだろうか。

日本国憲法から引用する。

第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

なんと立派な考え方であろうか。全ての国がこれを守れたら、戦争がなくなる。戦争を放棄するのだから、戦争がなくなって当然だ。

しかし、戦争を放棄していない国々に囲まれている中で、我が国だけが戦争を放棄してしまったら、他国のいいなりになるか他国に占領されるのがオチだ。実際、我が国はアメリカのいいなりになっている。仮にアメリカ軍が我が国から撤退したら、次には中国のいいなりになるだろう。

憲法第九条の考え方はすばらしいが、実務上は役に立たないどころか、我が国にとって害にしかならない。したがって、我輩は憲法第九条の精神である、戦争の放棄を放棄することを主張する。

簡単にいえば、理想よりも現実を採るということだ。

そして同じ考えで、ぽーさんの

不法占拠者はそこを使えるでしょう。
しかしながら、持ち主は誰かと言うと日本でしか無いのです。

という考えに異議を唱える。

我が国の領土である竹島を、不法占拠者である韓国が使っている、しかしながら国際法上の持ち主は日本だ。ふむふむ、なるほど。しかしそんなのは我が国にとって何の慰めにもならない。それなら、ある場所は国際法上他国の領土だが、我が国が勝手に使っているという逆の立場の方がよほどマシだ。

仮に楼主というおっさんが、ぽーさんの家を不法占拠し、勝手に使っているとしよう。ぽーさんは「自分の家を使うことはできませんが、法律上は私のものですから構いませんよ」と固定資産税だけはしっかり支払い続けるのだろうか。いや、固定資産税はここでは関係のない冗談だが。

そしてモラルに反したことをしていると、

白い目で見られるという事は、究極的には経済・外交関係の閉鎖、鎖国を意味します。

というのも、実は理想あるいは空想にすぎない。もともとお互いに信用していない人たちの間では、モラルは機能しない。

漢人社会はお互いに信用していない社会の一例だ。ある有名チェーン店が、汚いトイレでケーキを作っていたことが明らかになったが、そのチェーン店の信用が失墜したなんてことはなく、今でも人気を博している。初めから信用なんてないのだから、失墜のしようがない。大きな視点で見れば、論語というモラルで社会を安定させようと2000年ほどやったが失敗に終わった中国の歴史を見れば明らかだろう。

製造年月日の偽造が問題になる社会で暮らしている日本人にとっては想像するのさえ難しいかもしれないが、漢人社会で貸した金が返ってこない場合、白い目で見られるのは貸した側だ。よく読んでほしい、白い目で見られるのは借りた側でなく貸した側だ。この理由は「他人なんて信用できないのが当然なんだから、他人を信用して金を貸したお前がバカだ」ということだ。ここではモラルは機能しない。

ソフトパワーがニッポンを救う!をみてほしい。もし国際社会でモラルが重要視されるのならば、自ら批准した条約の条項さえ守れない中国が、我が国より大人気なのはなぜだろうか。

我が国はアメリカの子分のようにふるまってきたのだから、せめてアメリカぐらいは我が国に関心をもってくれているのだろうという淡い期待をもって、ニューヨーク・タイムズの記事でわかる 日本、中国、韓国に対するアメリカの関心度を読んでがっかりしてほしい。

残念なことに国際社会は、漢人社会の延長にすぎない。自問してほしい、信用できる国があるだろうか。我が国を含めて。

まとめよう。国際社会を生きるにあたりモラルに頼るのは、漢人社会でモラルに頼るのと同様、意味のないことだ。

さて、

モラルや信用より金が重要だと言うならば、北朝鮮の現状をどのように見るのでしょうか。

という質問に対しては、北朝鮮は弱小国だからと答える。つまり拳が硬くないということだ。他国に言いがかりをつけ他国人を散々殺しているアメリカが制裁されていないのは、単に拳が硬いからだ。

Kさん

日本や日本人が法を守ってきたということは信頼の上では大きな財産になっているのではないでしょうか。

確かに我が国は信用を得ているが、実務上ではあまり役に立っていない。

個人レベルでいえば、「あの人はいい人なんだけどね」と評価をされつつも、悪どい人たちに騙され、自分の家すら追い出されかねないというひどい生活を送っているといったところだろうか。

でも、主張される脅威の裏付けとなる客観的な事実はどうでしょうか?

客観なんてものはないといっても仕方がないのでここでは止めておくが、楼主が車を運転した時のオハナシの中で何が「客観的な事実」なのか、Kさんにお答えいただきたい。

poreporeさんが紹介してくれたhttp://pewglobal.org/reports/pdf/260.pdfは実に興味深い。これはしばらく楽しめそうだが、一つ例を挙げると「日本は第二次世界大戦について充分謝罪したか」という質問(49ページ目)にはなぜか、韓国中国日本の三つの国の回答しかない。なぜ各国でアンケートをとらないのだ。とはいえ、実はこの組織にもこの質問自体が野暮なことが分かっているということだろう。それはさておき、

韓国 はい1%  いいえ96%
中国 はい8%  いいえ76%
日本 はい42% いいえ41%

この数字を法務大臣よ、韓国・朝鮮と中国からの帰化を許可するなで作成したグラフと比べてほしい。


我が国の謝罪が足りないと感じている国民が多ければ多いほど、その国から我が国に帰化する人数が多くなっている。わけがわからない。

そうそう、この件について、充分謝罪しているあるいはしていないと主張するための裏付けとなる客観的な事実が何なのかも、Kさんに分析していただければありがたい。

最後になるが

正面突破ではなく、中国人の感情を理解した上で、懐柔することができれば良いのでしょうけど、私は日本人にそんな高等戦術は無理だと思います。

に関して言えば、無理といわずに、我々が劣等生であることを認め、漢人に見習えばいい。そのための実例が本ブログにたくさん紹介されているではないか。

なお、ミイラ取りがミイラになってはいけないに、そのための練習問題があるので、ぜひ回答してほしい。





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posted by 楼主 at 14:17 | Comment(7) | TrackBack(0) | 嗚呼日本
この記事へのコメント
竹島に関して>

日本語とは難しい物ですね。
私の思っている事を正しく使えられなかった事にまず反省します。

私が言っていたのは、あくまで竹島は日本の物だという事。
それが大前提になっており、その前提をして、一度自分の物では無くなった物を再度自分の物にするという「取り戻す」とは語弊があるのではないか?という事です。
言葉遊びと言われればそれまでではありますが。

仮に楼主というおっさんが、ぽーさんの家を不法占拠し、勝手に使っているとしよう。ぽーさんは「自分の家を使うことはできませんが、法律上は私のものですから構いませんよ」と固定資産税だけはしっかり支払い続けるのだろうか>

そういう事ではありません。
日本は正当な方法で抗議しております。
よって「構わない」という事でも容認しているわけでもありません。
勝手に使ってるオッサン(失礼)には抗議し、退去しなければ裁判を起こすでしょうね。
しかしながら、拳の硬さで解決しようものなら、こちらが逆に傷害罪で訴えられてしまいます。

日本の法律では判決に強制力がありますし、当事者不在でも裁判を行えるので竹島の事例とは少々異なってきますが。


ここまで云々言ってきて何ですが、条約慣習法も含め、国際法はツールに過ぎません。
どのようなツールかと言うと、自国の行動に正当性を持たせる為の規範を示したツールです。
国際法の枠組みの中にいれば、枠組みの外の事例を批判する事が出来る。
逆に言えば、順守しない方が利益になると判断んすれば反故するなりすれば良い。
利益と不利益の天秤という事ですね。
その天秤がどちらに傾くのかは事例や主観価値観で異なりますので、ここで述べる事は出来ませんが「基本的に」国際法の枠組みの中にいるべきだとは思います。
Posted by ぽー at 2008年06月30日 16:13
いつも、興味深く拝読しております(皆様のコメントを含め)。
楼主様、ぽーさんの文章を読み、自分になりに思う事がありましたのでコメントさせて頂きます。

ここまで云々言ってきて何ですが、条約慣習法も含め、国際法はツールに過ぎません。
・・・
逆に言えば、順守しない方が利益になると判断んすれば反故するなりすれば良い。
利益と不利益の天秤という事ですね。>

この利益と不利益の天秤には「拳の硬さ」も強く影響するのでしょう。
漢人、及びその他の国々は、国際法の枠組みを守ることも拳で解決することもツールとして持ち、臨機応変にそれらを繰り出しながら、自国の利益を追求しているのだと思います。
そのような、国際社会の中で自らのツールを一つ減らす事は不利益以外の何物でもないのかもしれません。
私は拳による取引(利益の追求)を望みませんが、自らが正しいと思う事を他の国々にもやらせるためには、まず自分が強く(拳の硬さだけによるわけではありません)ならなければならないのでしょう。
Posted by 38 at 2008年06月30日 19:55
あらためて帰化人のグラフを見ると怖いですね。数字は嘘をつかないから。だって、帰化する人って、全部朝鮮人と中国人だけじゃないですか。
グラフの帰化申請数が帰化許可数を上回るのは普通ですが、年によって、許可数が申請数を上回っていることが私には理解できないところです。

それはそうと、
>憲法第九条の考え方はすばらしいが、実務上は役に立たないどころか、我が国にとって害にしかならない。したがって、我輩は憲法第九条の精神である、戦争の放棄を放棄することを主張する。

>簡単にいえば、理想よりも現実を採るということだ。

>残念なことに国際社会は、漢人社会の延長にすぎない。自問してほしい、信用できる国があるだろうか。我が国を含めて。

>まとめよう。国際社会を生きるにあたりモラルに頼るのは、漢人社会でモラルに頼るのと同様、意味のないことだ


管理人さんが九条に対し、現実主義の観点から、そのような考えをお持ちとは意外でした。私はルールなき漢人社会に長く暮らし、彼らから、目潰し以外のあらゆる反則技を駆使する術を知っておく必要があるのなら「九条(戦争の放棄を含む)は変えるな!」と言うだろうと思ってので。

御託はこれぐらいにして、本題に入ります。「憲法第九条」を考える際に、四人の共著である『9条どうでしょう』(http://www.amazon.co.jp/9%E6%9D%A1%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4620317608)が参考になるのではないかと思います。細かな内容は割愛させていただきたいのですが、私が特別印象に残ったのが町山智浩さんの切り口でした。

まあ、出版元が毎日新聞社ですので、察しのいい方には、本書の結論は既に見えていると思います。
それでも本書は、独立した章でそれぞれの考えを提示され、また文体から文章の構成まで、ここまで違うのか(!)というほど個性豊かな人間によって書かれています。皮肉を込めた言い方をすると、ある意味では“改憲反対派の戯言”と考えてもらっても差し支えありません。

さて、私も細かな点では、四人の論客に否定的ですが、何よりも本書を評価しているのは、本書が「現実主義の観点から九条の改正に反対しているわけでもなく、存続を支持しているわけでもなく、戦力並びに戦争の放棄を謳っているわけでもない」というスタンスを貫いているからです。
こんな風に言うと「矛盾しているのではないか?」とお叱りが出てきそうですが、矛盾していて構わないというのが著者、そして私の考えです。
Posted by porepore at 2008年06月30日 21:19
ご存知の通り、現在の日本国憲法は硬性憲法と呼ばれています。これは、最初の一歩目のハードルが極めて高いということです。それならその次のハードルはどうでしょうか?
私が憲法改正を危惧する理由は、一度変えると社会に急な変化を齎すことにより、ドサクサ紛れに旨みを知った人間が現れ、何度も繰り返され、ズルズルといって歯止めがかからない状況に陥るであろうと判断しています。私がそのように判断する根拠は「日本人の民度の低さ」に注目しているからです。この民度の低さとは民主主義という枠組みの中での話です。そして、ここでの「民度の低さ」とは「権力に対する抑制が働かない」ということです。特に性質の悪いのが、日本の政治形態を疑うことなく真顔で「民主主義である」と答える人間が多いことです。

少しムッとされた方もいらっしゃるかもしれません。(http://www.economist.com/media/pdf/DEMOCRACY_INDEX_2007_v3.pdf
特に上記のデータのようなものを持ち出されると、確かに日本は民主主義であると判断されることかと思います。
それでも私は、西ヨーロッパや北米の政治形態を“民主主義”と捉えているのなら日本は異なった形態にあると思います。本来の西欧型の民主主義は為政者(王)との契約の精神から成り立ち、土台そのものにそういう基盤が埋め込まれていると考えています。一方で、日本の民主主義など表面的な事柄を欧米から儀礼的であり柱そのものを理解せず、擬似的な形で取り入れただけなのではないでしょうか。
ここでひとつ考えていただきたいのが、私たちは、為政者に“NO”を叩きつけられるのか?社会がその叩き付けた人に対して寛容であるか?西欧諸国、アメリカ国内でも行われた大規模なイラクの反戦デモが、賛成を表明した現在の日本でなぜ行われなかったのか? 
こちら(http://blog.chiguchigu.com/index.php?blogid=5097&archive=2008-1-14)のサイトの空気の支配に対する言及はなかなか興味深いものです。

それと、誤解のないように、私は現実的な観点から軍事力は必要だと思います。中国だの北朝鮮だの、宣戦布告を日本に叩きつけてきて、いざ領土に侵入してきたら九条があろうがなかろうが、ぶちのめすまでです。侵略国には暴力で対処する。それで、侵略国は「憲法九条に違反している」とでも文句を言ってくるんでしょうか?言われたら無防備になるんですか?

国際社会など宿痾の塊で、反則技の横行する世界です。どうして憲法が理屈の上で不便で成り立たないから改正するという論に結びつけるのかが理解できません。自分の手で紐を結んで選択肢を見す見す放棄しているようにしか思えないからです。私の結論は戦争の放棄を謳いながら、いざとなったら戦力を使うという矛盾したやり方が、最も日本にとってもフットワークが軽くバランスの取れた形態だと思います。
Posted by porepore at 2008年06月30日 21:22
ttp://blog.pixnet.net/cwyuni
上記ブログは
台湾の超人気ブログのひとつで、
日本在住台湾人の日本観が綴られています。
台湾に肩入れにしている人にはぜひ見てもらいたいし、管理人さまにも見てもらいたいです。
Posted by ケイ at 2008年07月01日 06:53
>確かに我が国は信用を得ているが、実務上ではあまり役に立っていない。

役に立っていないのは役に立てようとしていないからじゃないでしょうか。
もっと積極的に。もっと毅然と。反論すべきは反論する。利用できるものは利用する。
私たちは法を破ることを選ばなくても、頭と拳を鍛えれば良いんじゃないでしょうか。
だから、とっとと憲法を改正して欲しいものです。

>楼主が車を運転した時のオハナシの中で何が「客観的な事実」なのか

このお話のとき、車載カメラのことを考えていました。
一時期、一般にも売ってたようですけど、なぜか今は業務用だけみたいです。
普及すれば不毛な言い合いから解放されるでしょうね。
人間はあまり進歩しないけど、いろんなことが進歩してますから、使えるものは使えばいいと思います。

>無理といわずに、我々が劣等生であることを認め、漢人に見習えばいい。

私はその点で劣等性であることを否定したことは無いはずです。
見習えることがあれば見習えばいいと思います。
ただ、中国の見え透いたやり方は国際社会からの非難も多く、通用しなくなりつつあるのではないですか?
また、国レベルで言えば、中国でなくても、もっと目立たずに賢く立ち回ってる国があるように思います。
もっと日本に合うやり方が何かあるんじゃないでしょうか。

>充分謝罪しているあるいはしていないと主張するための裏付けとなる客観的な事実が何なのか

十分だと思う側は首相の謝罪の回数を数えるし、不十分だと思う側は議員の妄言を数えるし、結局押し問答で解決しないじゃないかと仰りたいのだと思います。
ここでの主体は国ですから、客観的事実は『国としては何度も謝罪している』ということと、『それによって何も解決していない』ということだと思います。
だから私の結論は『謝罪以外の方法を考えるべき』です。


>そのための練習問題があるので、ぜひ回答してほしい。

残念ながら、ちんぷんかんぷんでしたw
諦めがいいのは日本人だからじゃなくて私個人の性質によるものだと思いますがw
Posted by K at 2008年07月01日 10:13
ぽーさん

駅前の一等地にパチ屋がいっぱいある理由を調べてみるといい。
正当な持ち主がいたところで、やり方さえ考えれば分捕ることは可能なんですよ。
無理が道理を駆逐するのなんて、日常茶飯事であることを知ったほうがいい。
Posted by mi at 2008年07月01日 20:27
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