さて、英語に劣等感をもつ日本人に燃灯古佛さんが
と書いてくれたが、外来語に文句を言っているのではない。poreporeさんが書いてくれたように日本人は外来語を使うのは全て『崇洋媚外』ではないと、今は気付いてしまいました。
ということだ。poreporeさんは否定的に捉えていないが、我輩は否定的に捉えているという違いはあるにせよ、ポイントはここにある。「フリー・○○」にしても、和製英語として機能していたり、カタカナ英語の利便性も考慮すると、そんなに否定的に捉える必要は無いと思います。
燃灯古佛さんが知っているかどうか知らないが、我々は漢文を読み下す時に、韓国人とは違って日本語の文法に変換したという習慣をもっている。例を挙げると「春眠不覚曉」を「シュンミンフカクギョウ」とは読まず、「春眠曉ヲ覚エ不(シュンミンアカツキヲオボエズ)」と語順を変え助詞を加えたりするなどして読んだわけだ。「フリー○○」なら「○○をフリーにしろ」とでもしろということだ。我輩は恥ずかしいのでやらないが。
新常用漢字の基準は中国語かに中国語に媚びている様子が書かれているが、中国語に媚びたり英語に媚びたりせず、「日本を信じる」というデモ参加者は、我々の母語である日本語に自信をもつがよかろう。
たぬきさん
というのは信じられない。なぜなら「フリーチベット」で検索するとこの使い方がうじゃうじゃ見つかるからだ。しかも「江頭2:50がフリーチベットしてるんだけど」というのまであった。つまり、参加者は「フリー・チベット」ではなく「FREE TIBET」と叫んでいたんじゃないですか? 発音の是非はともかく。
そして
を読んで、次のような場面を思い出し大笑いした。こういう場で国際的アピールを考えて英語のスローガンを混ぜるのは別におかしなことじゃない。その点では批判したり嘲笑したりするようなこっちゃないでしょう。
四川地震の震災区に赴いた胡錦涛が、被災者を慰めている。しかしその声は被災者に語りかけているというより、このシーンを撮っているカメラの横にあるマイクに向けられている。目の前にいる人に話しかけるためだとしたら全く必要のない程の大きな声を出す不自然さは、中国語がわからない人でも気付けると思う。
「醉翁之意不在酒」という中国でよく知られたフレーズがある。「酔っ払いのおっさん(筆者自身)の気持は酒に向いているのではない(周りの景色を鑑賞するのが主眼なのだ、と続く)」というような意味だ。「糸を垂らしてるおっさんは魚を釣りたいがためではない」というフレーズもある。表面的にはXXをしているが、本当の目的はXXではなく、別のところにあるということを表現したものであり、上の胡錦涛にぴったりのフレーズだ。
さて、ここで例のスローガンからアピールの対象となっているものを抜き出してみよう。
すべて日本国内の個人あるいは団体が対象だ。「こういう場で国際的アピールを考え」る必要がどこにあるのかさっぱりわからない。上で紹介した中国語のフレーズを借りて邪推すると「日本国内の個人あるいは団体を批判しているのは表向きのもので、本当の目的は国際社会にアピールして、国際社会から仲間外れにされないようにすること」なのだろうか。まったく摩訶不思議としか言いようがない。日本政府は中国に媚びるな
中国に媚びる政治家は支持しない
首相の五輪出席はやめろ
中国に媚びるマスコミはいらない
日本人よ目を覚まそう
何かをアピールする際には、アピールしたい対象を絞ることが肝要だ。たぬきさんがどのような立場にいるかわからないが、たぬきさんが「国際社会」について本を書くとして、予想される読者が小学生の場合と大学生の場合では書き方が大きく違ってくる。
デモとプレゼンテーションの目的は両方とも自分の主張を他人に受け入れてもらうことだが、受け入れてもらいたい対象が明らかになっていないという点だけでもこのデモは失敗だ。責任ある立場でプレゼンテーションをしたことがない人たちの集まりなのだろうか。学校に戻ってクラス発表会のようなものから勉強しなおした方がいいかもしれない。
西さん
コンピュータ用語は中国と台湾で全く異なるものがほとんどなので、比べてみるとより楽しめるかもしれない。例を挙げると「内存(中国)」と「記憶体(台湾)」が「メモリ」で、「鼠標(中国)」と「滑鼠(台湾)」が「マウス」で、「程序(中国)」と「程式(台湾)」が「プログラム」で、「面向対象(中国)」と「物件導向(台湾)」が「オブジェクト指向」だ。逆に中国語のコンピューター用語は、よく訳したなぁと感心すると同時に、よく意味の分かっていない私は本質的な意味を二次的に知ることができます。
夏さん
というのは我輩もよく言われる。自分ではそんなつもりはないのだが。ふと思ったのだが、このブログに書いていることを中国語で書いたら全く別の結論になってしまったりするのだろうか。興味深いが面倒なのでやらない。youtubeである人が日本語と英語両方で話す動画を見ましたが、話す言語を変えるだけで人間自体変わってしまったかのようにがらっと印象が変わってしまうのには驚きますね
中国についてなにかを感じたら
漢字を根幹としている“日本語”である以上、その“漢字の哲学”に順応するのが上、反すれば質を落とし日本語はますます主体性を失う。
ぜひ楼主様に日本文化の内実について語ってほしい。
誤解されぬよう。たとえば「覗く」(のぞく)という日本語は「覗き見」などとしてよく使われます。
常用漢字(新聞などで使ってよい漢字)の基準では、
これを今はひらがな書きしなければいけないのですが、「のぞく」は「除く」と間違えられやすい。だから「覗く」の「覗」も漢字で書けるように、常用漢字に「覗」を含めましょう。
そういう議論があるのです。
その一方、「覗」を使った熟語がない。(つまり本家の中国語で「覗」という漢字があまり使われていないから?)だから、「覗」は常用漢字に含めないでおこう、そういう2つの意見が対立しています。
楼主は、日本人の使う日本語としての漢字なんだから、中国語に倣う必要な無い(楼主は敢えて媚びると使っていますが)と言っています。
日本語で「覗く」が一般的に広く使用されているのならば、漢字で書くことに何の障害があろうかと。
極端な例ですが、中国語に倣いすぎると『日本語でもこれからは「犬」ではなく「狗」と書きましょう』になってしまう??
ということが過路人さんはわからないんでしょう。
>>○○をフリーにせよ
ということは回答や捺印や乗車なんてのも「答えをかえす」「印を捺す」「車に乗る」とするべきということでしょうかね。
誤解しているのはあなたです。
漢字の哲学について話しています。
「媚びる」に脊髄反射してマイナスイメージで読んでいませんか?
常用漢字についての楼主の本文になぜ、
漢字の哲学が必要なのでしょう?
私も楼主も漢字そのものは否定していませんし、反してもいません。
常用漢字というのは、新聞、NHKの放送字幕などで用いてよい漢字の基準です。
義務教育(実際は小学校6年生程度?)で習う漢字がその基準範囲なのですが、
今回、パソコンなどの普及もあり、見直しに入っています。
今回の改正で漢字で書いてよい単語が増えるようです。
私自身としては、漢字書きが増えるのは、大変うれしいことですし、世間一般も、漢字が増えることを歓迎しています。
ある言葉を漢字にするか、ひらがなのままかを決めるのに、中国語(ここでは熟語)で「覗」という漢字をあまり使わないからと言って、日本語の場合も「ひらがな」で書くというのはおかしいでしょ?
中国語の基準で日本語のひらがな書きか、漢字書きか基準を決めるのは、変だと言っています。
簡単に言うと、
「中国語であまり使わない漢字は、日本語では平仮名で」
こういう考え方がおかしいと言っているのです。
常用漢字の弊害を挙げましょう。
一昔前までは、常用漢字の規制のために、
「ら致」(拉致のこと)「補てん」(補填のこと)というふうに書いていました。
私を含め、これを気持ち悪いと思う日本人はとても多いのです。
視認性、表意性の高い漢字をこんな風に分かち書きしてしまうと、余計に意味が伝わりにくくなりますよね。
今回の主張の論点をご理解なさっていますか?
私の論点は中国語ではなく漢字にあり、現在中国語が正しいと言いたいわけではありません。
平假名
倭:何ィ!?ならばひらがな、カタカナでどうだ ・・・しかし、漢字は便利だな〜・・・
・・・ひらがな、カタカナとあわせて使えば
もっと便利じゃん!
みたい感じでいいんじゃないですかね。
>私の論点は中国語ではなく漢字にあり、現在中国語が正しいと言いたいわけではありません。
過路人様は、楼主の書き込みを見て当初、「日本語自体が中国語の漢字から成り立っているくせに、媚びるも何もないだろう」という感想をお持ちになったのではないでしょうか?
私はそれを誤解だと指摘したのです。
中国語に対する否定、漢字への否定ではないからです。
「現在中国語が正しいと言いたいわけではありません。
」ですが、これは全然関係のないことです。誰も正しいかどうかは言っていません。
本文は常用漢字の決める基準についてだけです。
それを過路人さんは誤読なさったのでしょう?
また、私は過路人さんが分かりやすいように「中国語(ここでは熟語)の基準」と書きましたが、正しくは漢語(かんご)であり現代中国語の漢語(hanyu)とは違います。
日本語を勉強なさったなら、ご存じだとは思いますが、「漢語辞典(かんご辞典)」を思い浮かべていただければと思います。中日辞典ではありません。
漢語辞典には、漢字そのものの作り、成り立ち、そのもの意味、派生形、熟語が記載されています。
njrさんの言うとおり、「漢語(かんご)も日本語にとって外来語」です。だから漢和辞典があるのです。
外来語である漢語(かんご)を引き合いに出して、「漢語(かんご)、つまり熟語では使用が少ないから、平仮名で書こうという意見」についての異議でした。
それ以上でも、それ以下でもありません。
台北の本店に行く、人生の目標ができました。
「Free Tibet」か「フリーチベット」か。
日本の嫌中派は「Free Tibet」という言葉を世界のリベラルと共有できない。目的が「中国牽制」では何回集まっても「フリーチベット」なんだろうなぁ。
実に中国の隣国的で、中国の呪縛から解放されない「フリーチベット」。
はたして中国牽制の目的は達成されているのだろうか?
日本語は漢字、平仮名、片仮名を独自の文法で融合させた言語であり、そのうち漢字が根幹を成していると考えています。漢字は象意文字である上に他の要素も含んでいるため本来想定された以外の目的で使用することは理に反するものです。
>>本文は常用漢字の決める基準についてだけです。
それを過路人さんは誤読なさったのでしょう?
私は常用漢字に興味がありません。従ってそれを論点にしたつもりはありません。
>>njrさんの言うとおり、「漢語(かんご)も日本語にとって外来語」です。だから漢和辞典があるのです。
平仮名と片仮名は漢字の草書体を元に発明されたと認識しています、つまり日本語には元々文字がなく、漢字を元に構築された物です。これを踏まえて現代中国語は関係ないと言うなら「漢語も日本語にとって外来語」というのは本末転倒と感じています。
それが気に障ったなら、ごめんなさい。
平仮名、カタカナが漢字から出来たこと、現代中国語のくだりは、本文の論点からずれています。
楼主の本文と私のコメントは常用漢字の決め方について述べています。
日本語と、中国語の関連性については、ここでは述べられていません。「関連性がない」とは言っていませんよ。
常用漢字に興味がないなら、なぜ、最初にコメントを書き込んだのでしょうか?
それは楼主の本文を誤解されたからですよね。
「中国語に媚びるな」に反応したのでしょう?
くどいようですが、本文は常用漢字の基準の決め方しか書いていないのです。
多少挑発気味ですし、曖昧だから、誤解はしかたありません。
過路人さんは誤解したから、
「漢字を根幹としている“日本語”である以上、その“漢字の哲学”に順応するのが上、反すれば質を落とし日本語はますます主体性を失う。」
なんて書いてしまったのですよね。
また、常用漢字を決める基準にあたり、
私の『「現在中国語が正しいと言いたいわけではありません。
」ですが、これは全然関係のないことです。誰も正しいかどうかは言っていません。
本文は常用漢字の決める基準についてだけです。』に対して、
なぜ、過路人さんは『これを踏まえて現代中国語は関係ないと言うなら「漢語も日本語にとって外来語」というのは本末転倒と感じています。』のような意見になるのでしょう?
どう読解なさったのでしょうか?
ものすごい飛躍です。
常用漢字の基準を決めるにあたり、「現代中国語」は、関係ないのですから。
もちろん私は、「日本語」と、「中国語」の関連性を否定していません。認めています。
でも、本文の内容とは関係のないことです。
お分かりですね?
私の意見に対する反論は、常用漢字の決め方についてだけです。日本語と中国語の関連性については述べていませんので、ご理解ください。
常用漢字に興味がないなら、意見は結構です。
ここはあくまで常用漢字に対することなので、
私はそれに対してしか言っていません。
常用漢字の基準を決めるにあたり、「漢語(かんご)」を見て、学者さん達は決めている、それっておかしくない?
日本語なのに、外来語である熟語(漢語)の数を基準に常用漢字を決めるの?」ということです。
「熟語で使われていなくても、漢字で書いたっていいでしょ?」これだけです。
そして興味の有無は別として、過路人さんが本文を理解しやすいように、常用漢字について知らないであろうから、説明した。それだけです。
日本語は中国語の影響を多大に受けている。語彙は言うに及ばず、文字さえも、漢字からの変形である。このことと、今回の本文のテーマとは別です。お分かりですね。
また日本語と中国語の関連性については、本文のテーマではありませんが、
だからと言って関連性を否定しているということではありません。ただ、ここで、その話を展開するのは「場違い」だと言っているのです。
これ以上、続けると、楼主の言いたい内容が、霞んでしまうので、よしましょう。
実際、このデモのスローガンが「国内向け」といっても、その対象は政府であったり政治家であったりマスコミであったり日本人全般であったりで、アピールの対象は一つではありません。1回のデモで、このように一つのテーマで様々な方面にアピールするというのは珍しいことではありません。そして、そこに国際的アピールが付け加わっていても、別におかしいとはいえないでしょう。
さて、楼主の論点に立つと、アピールの対象が「国内向け」であっても一点に絞られていないという時点で、すでにデモとして「失敗」ということになりましょう。論理的には、その時点で「摩訶不思議」のはずですが、そこではそう指摘せず、その場に「国際的アピール」が加わったことをもって「摩訶不思議」とするのは、牽強付会といえるでしょう。
なお、「フリーチベット」というカタカナ語がどのように使われ、どんなことがネットで検索されようとも、デモの場で国際的アピールを念頭に「FREE TIBET」(「フリーチベット」ではなく)と叫んでいる人は少なからずいるでしょう。それが「信じられない」というのは、あまりに決めつけが過ぎると思いますがね。
えっ。韓国の文法は日本語にかなり近いんですよね。彼らは漢字で文章を書くときはともかく、読むときどうやって読んだんでしょう・・・。まさか中国語で?
加えて、外来品である、カレーであれラーメンであれ、地域特有の独自の文化を形成した、今や日本の国民食として確固たる地位を築いているでしょう。
日本に限らず、例えばフランス料理にしても、元々はイタリアから伝わったものだし、そのイタリア料理だって中国からの宮廷料理が基となったそうです。
外的な要因に限らず、内的な見方でも変化はつきもので、古文を喋る人間とは我々は会話がままならないでしょう。わずか100年前から踏襲してきた六法全書にしたって、常人には理解不能です。本来の意味である「確信犯」にしても、現在ではまるで正反対の意味を持ちます。誤解を避ける意味でも、現在の事情に反映した方を使うのが普通です。「コギャル」なんていうのもこれも日本語ですよね。
懐古主義者の中には「日本古来の文化に根ざした表記を定めるべきだ!」と威勢のいい主張をされている方もいるようですが、私は違う見方をします
そして、管理人さんの仰るように、国際社会でのアピールという意味では見当違いのような気がします。
スローガンそのものにも突っ込みどころ満載です。彼らにアドバイスできるとしたら、「活動家よ!目を覚ませ!」といったところでしょうか。
>日本政府は中国に媚びるな
逆説的に言うと、日本政府は中国に媚びていたり、そうでなかったりする
>中国に媚びる政治家は支持しない
逆説的に言うと、日本国内には中国に媚びる政治家と、そうではない政治家がいる
>首相の五輪出席はやめろ
ここは、とりわけ突っ込みどころは見つからないが、英仏の姿勢から判断したというのなら、悲しいところである
>中国に媚びるマスコミはいらない
逆説的に言うと、日本国内には中国に媚びるマスコミと、そうではないマスコミがいる
>日本人よ目を覚まそう
…。
彼ら活動家たちが目指す日本社会なのでしょうか。しかし、自分たちの主張が、成熟した社会の利点の一つである、柔軟性そのものを社会から排除し、選択の幅を極度に縮めてしまう主張であることが理解できないのでしょうか。皮肉なことに彼らのスローガンに目を向けると、彼らの理想とした社会は、彼らの嫌いな中国そのものであり、北の将軍様の統治する国を求めているのではないかと疑わせるものであります。
ほんとに面白いですね。
私は台湾の方が理解しやすいみたいです。
>西さん
常用漢字の問題点、良く理解できました。
今まで、何が問題になってるのか良く把握していませんでした。
常用漢字の枠自体が早くなくなって欲しいです。
>桜主さま
フリー・チベットの件はそこまで深い意味があるとはまだ思えないのですけど、『うまく立ち回れ』『もっとずるくなれ』ということについては考えが変わりつつあります。
できない人はできないでしょうし、中国のような低信頼社会になっては困りますけど、『やっぱり訓練は必要よね』と思い始めました。
無くなると、学校で最低限どの字を教えるのか、
という指針が無くなってしまって困りそう…。