日本語と言えば
というのはもちろん賛成だ。ただし「フリーチベット」はいただけない。もし英語の「Free Tibet.」という簡単な一文すら日本語に訳せないというなら、日本語をもっと勉強するがよかろう。あるいはいっそのこと日本語を捨てて英語で暮らしていくのもいいかもしれない。また、日本に概念が無かったり、代用に足る語彙が無ければ当面片仮名表記で代用し、必要に応じて言い換えしていくのが、日本人の現在の外来語への対処の仕方になっているが、それはそれで良いと思う。
酔っ払いのおっさんは酒が目的ではないにチベット旗を掲げて「Free Tibet」と叫んでいれば、その映像がyoutubeに上げられた時に、見た人間に何を訴えたいか判りやすい。発音が下手だろうが英語圏の人間に対して、日本でもチベット関連の運動があるということを訴えるには、その文言を使うべきなのだ。
と書いたが、これは実にみっともない。四川地震の震災区に赴いた胡錦涛が、被災者を慰めている。しかしその声は被災者に語りかけているというより、このシーンを撮っているカメラの横にあるマイクに向けられている。目の前にいる人に話しかけるためだとしたら全く必要のない程の大きな声を出す不自然さは、中国語がわからない人でも気付けると思う。
と日本国内の個人あるいは団体に呼びかけるデモで、つまり日本語圏の人間に呼びかければ済むデモで、なぜわざわざ英語圏の人間に訴える必要があるのか、理由が全く分からない。そしてなぜフランス語圏でもなくマレー語圏でもなくスペイン語圏でもなくロシア語圏でもなく中国圏でもなくポルトガル語圏でもなく、英語圏の人間が突然出てくるのかもよくわからない。日本人よ目を覚まそうなどと言う前に、英語圏の人間にへりくだっている自分が目を覚ますべきだ。日本政府は中国に媚びるな
中国に媚びる政治家は支持しない
首相の五輪出席はやめろ
中国に媚びるマスコミはいらない
日本人よ目を覚まそう
そうそう
という時の「正しい報道」がどんなものか、大枠でいいので説明してくれる人がいないのが残念だ。まさか文革当時の漢人のように、意味もわからずにただ周りの空気に合わせて叫んでいたわけではあるまい。いや、下のようなことを考えると、意味もわからず気分だけで叫んでいた可能性も否定できない。マスコミは目をさませ
我々は見ているぞ
正しい報道をしろ
poreporeさんが
と書いてくれた。これは実に示唆に富んでいる。そして幸せな空気読みも読むに値する素晴らしい内容だ。考えてもらいたいのが、もしこれから先、今以上に酷い不況にどっぷり漬かり、呆れたさんの主張や、正反対の主張をされる方がおり、そうした主張が日本社会全体に支持されたときに、正反対の主張を私たちはすることができるのでしょうか。
http://pewglobal.org/reports/pdf/260.pdfやhttp://news.bbc.co.uk/2/shared/bsp/hi/pdfs/02_04_08_globalview.pdfを見ても明らかなように、我々は異常なほど中国そして中国人を嫌っている。日本社会が「反中」あるいは「嫌中」という空気で満たされているため、そこに住む日本人はそれが世界全体の空気だと信じ切っている。ところが上のような調査によって、世界規模でみると実は日本人こそが「空気が読めていない」ことが明らかになると、それが信じられないという人が幾人もでてきたわけだ。
幸せな空気読みから引っ張る。
なるほど、我輩はこれからもその子供を演じ続けよう。最後は、「時代の風」というコーナーで、精神科医の斉藤環氏が書いている「KYの仕組み」という文章である。こんなことが書いてある。ちょっと長いがまとめてみる。
・「空気」に支配された結果の歴史的な失敗事例としては、太平洋戦争末期の戦艦大和の特攻攻撃がある。あらゆるデータが特攻攻撃の無謀さを示唆していたし、決定に関わった多くの人間が戦争を熟知したエリートであったにも関わらず、出撃決定の根拠は「全体の空気」というあいまいなものであった。
・私たちの判断は常に「論理的判断」と「空気的判断」のダブルスタンダードであり、しばしば決定は空気が許さない、という事によって行われる。そして空気に逆らえば「抗空気罪」で「村八分」の刑に処される。
・空気は人を健忘症にするので、人は自分がなぜその時、その空気に支配されたか、後になって説明できない。つまり、「空気」とは無根拠さの別名でもある。
・そういった空気に感染しないためには、空気ではなく判断の背景にある文脈を理解することだ。文脈を読むためには、あえて「王様は裸だ」と叫ぶ子どもを演ずるような一種の未熟さが必要かもしれない。
中国についてなにかを感じたら
同じ合言葉で一体感がでるし語感もいいしね
日本語だとどうしてもシラブルが多くなるからコールには難しい
こういうのは短く簡潔でかつインパクトのある言葉のほうがいいでしょ?
別に日本人にアピールするのに必ずしも日本語である必要もないと思うけど
英語のほうがかえって伝わりやすい事もある
FREE TIBETみたいな簡単な単語は中学生以上なら誰でも理解できるし
即席フリーチベットの皆さんが叫ぶ数種のスローガンの中で、どうして「フリーチベット」だけが英語なのか?
中国に媚びるマスコミはいらない
長野聖火リレーを忘れないぞ
日中記者交換協定を撤廃しろ
マスコミは目をさませ
正しい報道をしろ
日本人よ目を覚まそう
日本を信じる
(以上「英語に劣等感をもつ日本人」より)
海外のFree Tibet Movementと連帯するなら(しないだろうけど)他のスローガンも英語で言ってみろ、と。ついでに「シナ人留学生は帰れ」も英語で言ってみろ、ということですね。一部、もしくは大部分のフリーチベット・デモに集まる人たちの動機がチベットでないことが海外にバレちゃいますね。もう一部にはバレてるけど。
free hugs
無視してください。
↑
風吹けば桶屋が儲かるって理屈を地でいってますな。敢えて誤用してみましたと言うか、本来の意味を知りませんでしたと言い訳する方が、傷が浅くて済みますよ。
ついでに掛け声は、その場にいた人間が即興で考えていたから失笑するようなものが有ったのは事実だ。
海外からの流れを汲んで「Free Tibet」は必須だったのは海外の流れを受けてのこと。しつこいようだが海外との連携を図る上で英語で無くてはならない。
なお、日本のネットでは掛け声などについて反省するものが有り、その課程で中国人に呼びかけるのに有効ではないかとされている文言があるが、ブログ主はどう判断されるであろうか。中国語を知らない人間にもそれらしい発音が出来るように考えてある。
(びえ / 2)(わん ↓4)(じぃ ↓4)、りゅう(↓4)・すー(↓4)・てぃえん(→1)・あん(→1)・めん(/ 2)・どん(↓4)・ るあん(↓4)、
you tubeに投稿するから…。
フリー・チベットは世界の合言葉w
今まで中国や韓国を非難させない空気を作ってきた人たちが、こぞって現在の空気を非難してるのを見るのはナカナカ興味深いと思ってます。
私が身に付けたずる賢さに『聞こえなかったフリ』『理解できなかったフリ』『考えるのを放棄する』というのがあります。
これには意地悪な気持ちが伴うんですが、もっと攻撃的なワザも身に付けたいものです。
先日、チラッと考えたんですけど、ボランティアの人たちの偽善を指摘するなら、福祉関係で働く人たちの偽善も指摘してはどうでしょう。
あの人たちが低所得・重労働で働いているのも偽善なんです。だいたい、就職の動機が人の役に立ちたいだなんて笑っちゃう。本当は弱者に優しくすることで自分の優位性や優しさにうっとりしているんです。自己満足を通り越して、自己耽溺とでも言いましょうか…。
でも、こういうのって何ですねぇ…。
自分が偉くなって何でも見えている気持ちになっってくるというか…。
評論家って仕事はやめられないでしょうねw
これも一種の偽善なんでしょうか。
面倒くさいと思ってしまえば思考が広がらないし、全て真に受けると世の中複雑になりすぎるし、最終的には空気とかバランスとか好き嫌いとかのあやふやな基準で決めるしかないんでしょうね。
この意見には少なからずKさん自身の心根の投影が含まれているのでしょう。
ほぼ全ての主要な宗教が弱者への奉仕を善となしているのを、真っ向から否定されるような意見を表明される勇気には敬服しますが、シニカルな視点でしかモノを見れないのは不幸だと思います。
弱者にやさしくして相手が喜ぶ姿に喜びを見いだす。素晴らしいじゃありませんか。それを自己の優位性や優しさにうっとりしているとしか見れないとは...。
もちろん、全ての福祉関係者が高い精神性を持っているとは考えてはいませんが、ひとまとめに偽善だと断罪するのも酷だと思います。
書き逃げ(?)みたいになってしまうのも失礼かと思い、書く事にいたします。
>情けは人のためならずという言葉があるように、
>ボランティアは「自分はこんなにいい人なんだ」と満足するための行為だ。
私はこの文を読んで、
(1) 自分の行為によって
(2) すぐさま満足を得る
という感じを受けましたが、
私の漠然と思い描いていた「情けは人のためならず」は、
(1) 他人の行為によって
(2) ある程度の期間をおいた後に満足を得る
というものだったので、
そこに違和感を感じてコメントを書いた次第です。
(ちなみに、『めぐり巡って』に(2)の感覚を、
『人から優しくしてもらえる』に(1)の感覚を込めてみています。)
なお、
>「他人に情けをかけるのは他人のためではなく、自分のためである」
については、全く異論はありません。
以上、長文失礼いたしました。