2008年07月22日

国語力の低下

Kさんにはこれまでに何度も、我輩が書いてないことを書いたことにされてきたが、今回のは特にひどい。

デモにしろ、ボランティアにしろ、そんなに深層心理に潜む偽善や利己心を悪いことのように指摘しなければいけないんでしょうか。

というのはなんなのだろうか。タイトルにさえ「ボランティア活動は善である」と書いてあるにも関わらず、我輩がそれを偽善だと指摘したことにされてしまった。そして情けは人のためならずに

情けは人のためならずという言葉があるように、ボランティアは「自分はこんなにいい人なんだ」と満足するための行為だ。これ自体は素晴らしいことで、世界中のすべての人が大きな視点で利己的になればこの世はより豊かなものとなるだろう。

と利己的活動を肯定しているのに、なぜか「利己心を悪いことのように指摘しなければいけないんでしょうか」と詰問されてしまった。国語力の低下は韓国だけに見られる現象ではないということだろう。

また

これを、チベット台湾に肩入れする人たちに単純に当てはめてはいけないんですか?

ということに関しては、うんざりするほど我輩の立場を表明してきたが、黒を白と読み替えてしまうKさんにそれが伝わることを期待するのは不可能だと判断せざるを得ない。

ちゅうさん

楼主様の意見には賛成ですが、善と悪を対立させる立場でおっしゃるなら、「人に親切にして自分もその人も喜ぶ」ということはやはり「偽善」ではないでしょうか?

というのは我輩の理解を超えている。これは恐らく我輩が何か大切なことに気付いていないのが原因だと思われるので、ぜひ「偽善でない善」がどんなものか教えていただきたい。

そうそう国語力の低下と言えば、poreporeさんが

以前、私が紹介した、リサーチ資料の内容も考慮すると、そもそも、現在の「フリー・チベット」の定義は単純なFree Tibet≠竅uチベットを助けろ」じゃなくて、本当の定義は「“建前”では、少数民族の浄化を計る、悪しき権化の最たる中国による圧制に苦しむ人々の解放であるのだが、“本音”はそんなことはよりも、(日常の溜まりに溜まった鬱憤を中国に向け)中国を懲らしめてやりたい」という背景知識を読み取る必要があるんですよ。

要するに、「フリー・チベット」は「チベットを助けろ」よりも、「くたばれ!中国」に近く、これを公でおいそれと発言できないから、ネタが必要なんですよ。語感や音の響きがいいのに加え、和製英語を用いることにより、本来の意味をボカスこともできる、それだけの価値があるんです。だから「フリー・チベット」なんですよ。

と書いたのに対してF4Phantomさんが

フリーチベットと言っても構わないと私も思うよ。

と肯定したのにはのけぞってしまった。英語圏の人に訴えるとか、世界に訴えるとか言っていたのは嘘だったと認めていることになるのだが、それでは件のデモに参加していた他の人たちに失礼ではないか、と我輩がかえって心配してしまった。

なお、日本のネットでは掛け声などについて反省するものが有り、その課程で中国人に呼びかけるのに有効ではないかとされている文言があるが、ブログ主はどう判断されるであろうか。中国語を知らない人間にもそれらしい発音が出来るように考えてある。
(びえ / 2)(わん ↓4)(じぃ ↓4)、りゅう(↓4)・すー(↓4)・てぃえん(→1)・あん(→1)・めん(/ 2)・どん(↓4)・ るあん(↓4)、

という質問が来ること自体が国語力の低下を示しているのだが、それが似非英語だろうが似非中国語だろうが似非スペイン語だろうが、我輩の主張は変わらない。上のような掛け声に対して言えば、中国語に媚びることなく自信をもって日本語を使いたまえ、ということだ。

ちょっと忙しいのでこれで終わる。





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posted by 楼主 at 11:59 | Comment(13) | TrackBack(0) | 嗚呼日本
この記事へのコメント
中国共産党が、考える隙を与えないために、
スローガンで埋め尽くす理由が分かります。

文章は、いくら言葉を尽くしても、人それぞれ受け取り方は違ってしまう。
国語力の低下だと言ってしまっては、元も子もない気がします。

自分の経験、理解度や考え方に沿ってでしか感じ取れないのです。

特にチベットや中国に対しては、みな、それぞれ思うところがあってここを見ているので、コメントを斬ってばかりいては、何もコメントできなくなってしまいます。
Posted by 西 at 2008年07月22日 16:20
楼主さまのご指摘の様に国語力の低下した方なのか、あるいは確信犯であるのか分かりませんが、
論戦にて挑もうとする相手に議論で臨んでも実りある結論は得られないと思います。
何となく,ですがその様な噛み合わなさを感じました。

私としては、もっと沢山の掲示板を楼主さまの感性で紹介していただける方がうれしいなぁ、と思います。
私はあなたのこのホームページのおかげで、中国人だって我々と同じただの人間なのだよなぁと言う、
実に当たり前の事をとても自然に再確認できて、その事がとても楽しいです。
Posted by naruzoh at 2008年07月22日 20:54
西さん
>文章は、いくら言葉を尽くしても、人それぞれ受け取り方は違ってしまう。

それは文章でなくても同様だ。例を挙げよう。

西さん「あのレストランは料理がおいしいですね。」
楼主「いや、まずかった。」

ここで我輩は、あくまでも我輩自身の受け取り方を我輩自身の発言として話している。これに問題はない。

では次の例を見てほしい。

西さん「あのレストランは料理がおいしいですね。」
楼主「なぜあなたはあのレストランの料理がまずいというのだ。」

西さんはそんなことは言っていない。ところが我輩は西さんが言ったことと全く反対のことを西さんが言ったものとして詰問している。

あるいはこんな例はいかがだろう。

西さん「あの店はOOの部分を改善できれば繁盛すると思います。」
楼主「あの店がOOの部分を改善できるなどと、あなたが信じているとは驚きだ。」

西さんはその店が改善できるなどとは言っていない。しかし我輩は西さんがそう言っているのだと決めつけている。

このような相手に対して、西さんならどのような感想をもつだろうか。

>自分の経験、理解度や考え方に沿ってでしか感じ取れないのです。

繰り返しになるが、その感じ取ったものを自分自身の言葉として表現することには何の文句もない。我輩が問題にしているのは、それを他人の言葉としてでっちあげることだ。しかもそれが一度や二度ではないということも大きなポイントだ。

結論を言えば、上に挙げた例にあるような単純な言葉さえ理解できない人が、単純な言葉を積み上げた結果である、より複雑な主張全体を理解できるとは全く思えない、ということだ。
Posted by 楼主 at 2008年07月22日 22:51
別に詰問したつもりはありません。
イライラして面倒くさくなっちゃっただけです。
それにしても見逃しませんねぇw
『フリー・チベット』は胡散臭い、気に入らない、それだけじゃいけないんでしょうか?
遠くのだの近くのだの屁理屈みたいに聞こえます。
デモに参加した人は近くの困った人のために何もしてないって誰がわかるんでしょうか。

>単純な言葉さえ理解できない人が
>より複雑な主張全体を理解できるとは全く思えない

確かにそうです。判りません。
単純な言葉を積み上げて、全体的には複雑な主張をする。反論には単純な言葉を取り上げてあしらう。
凄い緻密なワザです。
普段は『ナルホド!』と感心しながら読むんですけど、ときどき私の粗雑な頭ではついて行けません。
Posted by K at 2008年07月23日 09:39
私は感情的にしか見られませんが、
でっちあげとか、国語力の低下は言いすぎだと思いました。
Kさんは、茶々を入れようとする悪意を持った閲覧者ではないと思います。
コメントだって、真摯に答えていると思います。

あなたからご覧になると、私も含め未熟だなと思う部分があるかもしれない。

様々な考えを持つ人が見ている中で、比喩や皮肉が多用されれば、
曲解や誤解だってあります。
また、多くのコメントを引用されて、話が飛び飛びなため、一貫性が読み取りにくい。

書いている本人と違い、読者には、こういう形式だと、より伝わりにくいのです。
それを国語力の低下だと言うには、あまりにも乱暴すぎる気がしました。
Posted by 西 at 2008年07月23日 11:31
西さんに質問だ。

西さんはどうして、漢人は家族を大切にするのに、日本人は家族を大切にしないとか、日本人は子供が親の面倒を見ないなどと、日本人を悪く言うのだろうか。
Posted by 楼主 at 2008年07月23日 13:56
日本人が嫌いで、中国人が好きだからです。
なんて答えておきましょうか?

これは、敢えて曲解した言い方で、おっしゃっているんですよね?

私が見ていて思ったのは、悪意を持って、揚げ足を取っていたわけじゃないし、主張を理解しようとしつつ、自分の意見や考えを述べていただけではないでしょうか?

オーバーヒートはあるかもしれないけれど、でも故意にでっちあげたわけでもないし、先に言ったように、飛び飛びで主張が分かりにくいから誤解したのかもしれない。
飛び飛びだから、書いているうちに支離滅裂になってしまうこともあります。

飛躍があったり、正反対の方向になっていたりしても、そういう悪意のない人に対しては、指摘の仕方があるのでは?と思いました。
要は「キツすぎる」と感じただけです。
Posted by 西 at 2008年07月23日 15:20
http://chinabbs.seesaa.net/article/97009353.html
楼主「残念ながら、のび太は真っ向勝負ではジャイアンに勝てない。まず必要なのはジャイアンのパンチをかわし、キックをいなすテクニックだ。そしてジャイアンと対等にやり合うにはドラえもんを呼び戻すことだ。遠くから悪口を言ってる場合ではない。」

Kさん「のび太くんは腕力じゃジャイアンに敵わない。
だから知恵を磨け、ということならわかります。
でも『敵わない』から恭順しなさいと言ってるように聞こえるのは私の被害妄想なんでしょうか。」

http://chinabbs.seesaa.net/article/102635661.html
楼主「我輩が言えることは、民主主義というやり方では不可能だろうということだ。台湾とシンガポールを比べてみるとわかりやすいが、やはり独裁の方がよさそうだ。あとは独裁政権に自浄能力があるかどうかにかかっている。 」

Kさん「桜主さんがまだ中国の自浄能力を信じているとは驚きでした。」

http://chinabbs.seesaa.net/article/103313541.html
楼主「ボランティア活動は善である」

Kさん「先日、チラッと考えたんですけど、ボランティアの人たちの偽善を指摘するなら、福祉関係で働く人たちの偽善も指摘してはどうでしょう。」

楼主「世界中のすべての人が大きな視点で利己的になればこの世はより豊かなものとなるだろう。」

Kさん「デモにしろ、ボランティアにしろ、そんなに深層心理に潜む偽善や利己心を悪いことのように指摘しなければいけないんでしょうか。」

とっさに思い出せたものだけでもこれだけあった。簡単に言うと、日本語が通じていない。

「オーバーヒートはあるかもしれないけれど、でも故意にでっちあげたわけでもないし、先に言ったように、飛び飛びで主張が分かりにくいから誤解したのかもしれない。」
に関して一言でいうなら「故意でないから厄介なのだ」ということだ。逆から言うと「故意だったらまだマシだ」となる。

これは
http://chinabbs.seesaa.net/article/101102895.htmlに下のように書いた通りだ。

「漢人がよく使う言い訳に「不是存心的(大陸風)」あるいは「不是故意的(台湾風)」という言葉がある。これは「わざとじゃありません」という意味だが、この言い訳を使う人間は、必ずと言っていいほど同じような過ちを繰り返す。考えてみれば、「わざとじゃありません」ということは「自分の責任じゃありません」と言ってるのと同等なのだから、反省などするはずもないのだ。

一方で、たとえば会社での待遇に不満があり、わざと他人の足を引っ張る漢人がいる。この場合、こちらがその不満を解消してあげることができれば、その漢人はもうそのようなことは繰り返さない。その行いの責任が自分にあることが分かっているからだ。」

だからこそ、我輩の主張と全く反対のことを、あたかも我輩が主張しているかのようなとんでもない発言をして、それを我輩に指摘されてもなお「それにしても見逃しませんねぇw」という態度でいられるということだ。

さて、我輩が書いた
「西さんはどうして、漢人は家族を大切にするのに、日本人は家族を大切にしないとか、日本人は子供が親の面倒を見ないなどと、日本人を悪く言うのだろうか。」
に対して西さんの反応は
「これは、敢えて曲解した言い方で、おっしゃっているんですよね?」
であった。これは何を意味するのだろうか。

これは我輩が敢えて(つまりわざと)曲解したのだったら問題ないということだと受け取ったが、いかがだろう。

仮に我輩が故意に曲解することなく、純粋に心から信じて上の発言をしたとしたら、西さんはどう感じるだろうか。

西さんがどう感じるかは、西さんの書き込みを待つことになるが、我輩の感想を先に書いておくと「こいつには日本語が通じてないな」となる。
Posted by 楼主 at 2008年07月23日 21:31
 難しく考えず「フリー・チベット」が世界的に定着しとるんやからそれを使えばええちゅうことやがな。それで英語圏を含め海外との連携が図れるんやから。

 英語使うたら英語への劣等感とかいうあたりの発想が偏狭やと思う。やけん中国語の掛け声が考案するのが国語力の低下なんて発想になるんやろ。
 そういう発想ばかりしておると、漢字捨てて国語力の低下した韓国人みたいになってまうで。民族主義で他国の文字つこて表記するのを忌避した結果が、あれやさかいな。

「別忘記、六四天安門動乱!」については、忘れとるというより、知らん中国人多いやろうけんな。教えてあげるのが親切や。中国のネットで検索できへん魔法の言葉らしいからな。
Posted by F4Phantom at 2008年07月24日 04:57
>我輩の感想を先に書いておくと「こいつには日本語が通じてないな」となる。

私がこれまで、皮肉とか逆説とか暗示とかとして理解してきたことは、全て気のせいだったということでしょうか?
何だか狐につままれたような気分です。

>一言でいうなら「故意でないから厄介なのだ」ということだ。逆から言うと「故意だったらまだマシだ」となる。

ここは桜主さんのブログですし、桜主さんが妨害だと感じているのであれば、私は退場すべきでしょう。
長いことお世話になりました。
Posted by K at 2008年07月24日 10:00
コメント3連発みたいになってしまって、続けるのが気が引けるのですが、すみません。

ここのコメント欄に書くことと、それを本文に転記して、言い方が悪いですが、それを評価あるいは感想を述べるということでは、そのコメントの意味が違ってきます。
以前、どこかでおっしゃっていましたよね?
「中国人のブログを我輩が翻訳することにより、単なる翻訳ではなく、別の意味を持つことにもなる」というようなことを。記憶違いだったらすみません。
私は、その時に、「確かにそうだなあ」と思ったのです。

過去の記事を読むと、怒った中国人が闖入してきていましたよね?その時に、「中国人のブログを翻訳しているだけだ、書いているのは中国人じゃないか」と、読者の皆さんも口々に書いておられましたが、まったくそのとおりなのですが、一方で私はあの中国人の怒りが分かる気がします。
そして、あなたも気づいておられるはずです。

自己弁護っぽくなってしまいますが、私と過路人さんみたいに、このコメント欄で言い合いすることと、上の本文でコメントを引用して、感想や評価を書いて論破するのでは、やはり意味が違うような気がします。
ズレの、指摘をするにしても、
ぺしゃんこにするような言い方をしなくても、と思ったのですが、これは人それぞれの感じ方ですから、これ以上は控えます。
ただ、今回の文は読んでいて、あまり気持ちがよくなかった。これが私の感想です。

もちろん、上記のようにズレを列挙されれば、そのとおりだと思います。

また、一般的に見て善なこと(ここでは民主主義や人権)に対して、反対の主張は伝わりにくいと思います。
話が飛び飛びだし、比喩は多いし、
ましてや自分や周りの見地とは違う、新しい見方なのですから。

それから、私も「不是故意的」と言われたら、イラッとくるし、それって言い訳になるの?と思います。
そのあと絶対に「対不起(ごめんなさい)」が続かないし。
だけど、それならば今回のような場合は、自分の言い分を易しい言葉で伝え直せば済むのではないでしょうか?

また、「わざと曲解していたのなら問題ない」というのは、私の主張が分かった上で、敢えて試しているのが感じられたし、真剣に訂正するのも私がバカみたいだから、ああいう風に言っただけです。おっしゃる通り、問題がないと言えば、問題ないですね。

純粋に信じていたのなら、「私、そんなこと言っていません」と否定するでしょう。
でも、「日本語が通じてないな」とは思いこそすれ、書けません。
過路人さんの時も、一生懸命日本語を勉強したのであろうし、ズレていても、分かりにくくても、あそこまで日本語が書けたら立派だなぁと一方で思ったから「日本語が下手なんだから、中国語で書け。」「日本語を勉強して出直してこい」とは言えませんでした。(すぐに中国の優越性を説きたがる、あの手の中国人は大嫌いなので、私も意地にはなりましたが。)

最後に、私の最初のコメント、「自分の経験、理解度や考え方に沿ってでしか感じ取れないのです。」は、すごく偉そうで、それこそ偽善者ですね。うまく表現できませんが、「自分の分かりやすいように受け取ってしまいがちである」ということです。
自戒を込めて。
Posted by 西 at 2008年07月24日 11:57
F4Phantomさん、我輩に言えることは、日本人に訴える時には、英語や中国語やその他の言葉に媚びることなく、日本語を正々堂々と使ってほしいということだ。

Kさん、これまで付き合ってくれてありがとう。我輩にとって最も残念なのは、Kさんが最後になっても我輩を「桜主」と呼んでいたことだ。形は似てるかもしれないが「桜主」ではなく「楼主」であり、これ自体が何かを象徴するような事柄ではあるが、西さんからの忠告を受け入れ、ここで止めておこう。

西さん、今回の件に関して、西さんと我輩の違いは
>「日本語が通じてないな」とは思いこそすれ、書けません。
に集約されるようだ。考え自体は同じだが、面の皮の厚さが違うということだ。

ただ「偉そうで」というのには違和感がある。ましてや「偽善者」などというのはとんでもないことだ。西さんは自分の信ずることを書き表しただけなのだから、堂々としていれば済むことだ。
Posted by 楼主 at 2008年07月24日 15:10
コメントとりあげていただきありがとうございます。
善、という言葉を使われる場合、そこには必ず「だれにとっての」という条件がつきます。
おばあさんと彼女に親切に接する人との例でいえば、おばあさんに親切にする行為は「その人とおばあさんにとって」善でしょう。
でも、もしかするとその行為は他の誰かにとっては悪かもしれません。もしくはもっとひねくれた例を出せば、それはおばあさんにとっても善ではなくなるかもしれません。
例えば、私が町を歩いているときに、重い荷物を持って車の通りの激しい場所で渡れずにいるおばあさんを見たとします。
私は親切心からおばあさんの荷物をもってあげて、道路を渡る手伝いをしてあげます。私にとっても、おばあさんにとっても本当によいことです。
でも、そのあとおばあさんは駅前で通り魔に切りつけられて怪我をしてしまいます。私が通りを渡らせてあげたおかげで、丁度通り魔がいる時間に駅前にいてしまったわけです。
この場合は極端な例ですが、この私の行為は客観的に見て「善」でしょうか?客観的に見て善だとしても、私がそのことを後に知ったときに自分の行為を「善」と思えるでしょうか?
私はたぶん後悔します。「よけいなことをしてしまった」と。
何かの善悪を判断するということは、こういう「可能性の未来」を見る際に邪魔になります。ですから、「偽善」のままにしておけばいいのです。少なくとも私は、何かに対して「これは善である」「これは悪である」と判断できるほどの知識も経験も十分に持っているとは思っていません。
もっと言えば、勇気のない人間には「偽善」がせいいっぱいの「善」なのです。もちろんこれは私だけの考え方ですが、こちらに書いてしまった以上、説明として書かせていただきました。
Posted by ちゅう at 2008年07月24日 22:06
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