2008年07月25日

三万人の外国記者が中国に

偽善を辞書で調べた結果

うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。「―に満ちた社会」←→偽悪。

と書かれていた。

ボランティア活動は善である

簡単にまとめると、我輩が他人の手助けをするのは、他人のためではなく、あくまでも我輩のためである。

と書いたとおり、「うわべをいかにも善人らしく見せかける」こととは関係ない。自己満足していればいいだけの話なのだ。

我輩自身はボランティア活動に参加したことがほとんどないのだが、台湾にいたころ手話サークルのリーダーとして活動していた友人がいたので、何度かそれを見に行ったことがある。このボランティア活動に参加していた人たちは「うわべをいかにも善人らしく見せかける」ためにボランティア活動に参加していたようには決して見えなかった。イベントを運営することで自ら喜び、イベントを見にきた子供たちも喜んでいた。

このところ我輩は毎日ヤクルトを飲んでいる。ヤクルト(会社)はヤクルトを作って売り、我輩は代金を支払い買って飲んでいる。ヤクルト(会社)は売上が上がって喜び、我輩はわずかな代金でおいしい飲み物を飲むことができて喜んでいる。ここでヤクルト(会社)は「うわべをいかにも善人らしく見せかける」なんてことはしていない。

これらのことは我輩からみるに、「偽善」ではなく「善」である。自分のためにという利己的な意図があるから偽善あるいは価値が下がるというのは、我輩の理解を超えている。そもそも「純粋に他人のため」という行為がどんなものか、我輩には想像できない。

ただ、ちゅうさんのポイントは少し違うところにあるようなので、一つ質問したい。

私は親切心からおばあさんの荷物をもってあげて、道路を渡る手伝いをしてあげます。私にとっても、おばあさんにとっても本当によいことです。
でも、そのあとおばあさんは駅前で通り魔に切りつけられて怪我をしてしまいます。私が通りを渡らせてあげたおかげで、丁度通り魔がいる時間に駅前にいてしまったわけです。
この場合は極端な例ですが、この私の行為は客観的に見て「善」でしょうか?客観的に見て善だとしても、私がそのことを後に知ったときに自分の行為を「善」と思えるでしょうか?

では、ちゅうさんがそのことを後に知らなかったらそれは「善」になるのだろうか、ならないのだろうか。

さて、またもや無駄話が長くなってしまったが、今回はこのスレッドを紹介する。

「恐怖:三万人の記者が訪中、そのうちの三分の一がなんとオリンピックに興味なし

 オリンピックの試合はすべて生中継され、しかも適切な権利のあるテレビ局は国内の視聴者に対して試合の現場で発生した政治やスポーツの画面を放送できると、国際オリンピック委員会が発表しました。イギリス人とアメリカ人は勿論BBCとNBCがこれを利用してほしいと考えています。

 でもそんな簡単なことでは終わりません。8月には、三万にも上る記者が中国にやって来て、そのうちの三分の一以上がオリンピックには興味がないのです。西洋の記者は全国各地(チベットを除く)を自由に旅行したり、報道したいものを記録したり撮影したりすることができると、中国人が約束しました。

 オリンピックは世界でもっとも人口が多い国を自由に報道する特別なチャンスを代表することになりますが、イベントをめちゃくちゃにする機会を与えることになるかもしれないのです。

 これまでのところ、自由に報道できるという政策はうまくいっていて、四川地震の報道によって引き起こされた国際的な同情がこれを物語っています。ただ今週に入ってから天安門広場での生中継に制限を加えたことから政府の緊張が伝わってきます。

 しかし、もし全てのチャレンジが中国を試すもので、中国が西洋のメディアの要求を満たすことができるかということになれば、それはひどすぎます。メディアは別のプレッシャーを抱えることになり、客観的な報道ができなくなるかもしれません。13億の中国の観衆の感情を考えなければなりません。愛国主義と優越感が蔓延する中国では、西洋の報道による批判が受け入れられない可能性があります。つまり「気をつけろ」 という結論になり、これは春に起きた一連の摩擦からうかがうことができます。

 3月のことですが、anti-cnn.comというサイトが登場し、『西洋メディアの嘘と歪曲を暴く』として、彼らから見た敵対報道を批判しました。西洋のテレビ局と新聞社の報道を事細かに分析し、少しでも気にいらないことがあるとサイト上で大々的に発表し、民衆を挙げての西洋メディア批判が行われました。

 《タイムズ》中国の記者であるJane Macartneyは3月になんども友好的でない電話を受け取り、1936年のベルリンオリンピックと北京オリンピックを並べるやり方について文句を言われました(実はこの記事は別の記者によるものでしたが)。これは計画的なものなのでしょうか?そうなのかもしれません。ただ中国の民衆がこの記事に対して怒りを感じたのはほぼ間違いありません。

 論説員であるJack Caffertyが漢人をバカにする言論を発表した後、CNNは最悪の経験をし、漢人の間での信用ががた落ちになりました。CNNは二度にわたり中国政府に謝罪しました。四川の震災地でインタービューをしていた記者は農村でさえ『あんたCNNの人じゃないでしょうね』と言われたそうだ。

 オリンピックはターンポイントとなりうる大きなイベントで、メディアと中国の間の将来にわたる『ビジネス上の関係』がここで決定されることになるでしょう。

 もし中国が西洋の少数のメディアに開放するとすると、将来六週間の成り行きが注目され、どのメディアが中国でうまくやったか、どのメディアが中国でうまくやれなかったかがはっきりするはずです。ただ今のところ、漢人はいまだにすぐかっとなる性格で、簡単な意見や文が想像もできない結果を引き起こす可能性があります。」
ちょっと言いたいことがわからない部分がいくつかあったが、できるだけ元の文に忠実に訳してみた。







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posted by 楼主 at 12:16 | Comment(3) | TrackBack(0) | メディア
この記事へのコメント
「三万人の記者が訪中、そのうちの三分の一がなんとオリンピックに興味なし」が「恐怖」なこととは…
批判記事を書かれることが、そこまで嫌なことだとは、ちょっと理解しがたいです。

気になったので、レスを見てみると、
「中国は歓迎するよ。中国は何も恐れない。」
に対して、
「ここでいう『中国』って指導者?それとも庶民?
お金持ち?それとも貧しい人?
漢民族?それとも少数民族?
「憤青」?それとも「憤青」を嫌っている人?
多くの場合、正反対の見方をするからね」と書かれていて、うまいことを言うなあと感心しました。

前回のアテネ五輪で、ギリシャ関係の記事や番組が増えたように、中国がクローズアップされて、雑誌やテレビで特集記事が書かれて、いい注目を浴びた方が、私の会社的にはとても嬉しい(儲かる)ので、反日デモから続く一連のマイナスの事象、そして今の日本の雰囲気は、私のボーナスも含め、ただただ残念です。
女子十二楽坊くらいまでは、チャイナっぽさ=かわいい、サブカル大好きという感じもあったのになぁ。
でも、自業自得だと思ったり、複雑な気分です。
Posted by 西 at 2008年07月26日 00:34
社会的事象としてのオリンピックには興味があっても、競技にはあまり熱中しない人は多いでしょう。私もそうです。
競技と関係のないところで何が起こるか、注目しています。
Posted by 森本 at 2008年07月26日 20:28
佩服,佩服。
Posted by 楊磊 at 2008年07月28日 10:31
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