「私は去年、西安の高校を卒業してから北京にやってきて丸々一年になります。こちらにやってくるまでは幸運だと思っていました。親戚のおかげで、テレビでしか見ることの出来なかった天安門をこの目で見ることが出来るということが、友人たちにとてもうらやましがられました。実際に宝石のような北京という地に降り立った時、仕事が見つからなかった時、一人混みあうバスの中にいる時、もう自分が帰るべきでない実家に帰るもんかと歯を食いしばった時、両親に会いたくなった時、心の中には色々な感情が入り混じります。北京でこのままがんばるか、それとも故郷に帰るか、それとも同級生や先生のいる西安に戻るべきか……よく一人で馬鹿げたことを考えます、でもこんな思いが頭をよぎるのはほんの一瞬です。
安定した収入もあり、会社が提供してくれる環境も私にはもったいなさ過ぎるほどですが、でも心の中は空っぽです、というのも私が勉強してきたことと仕事の内容は全く関係がないからです。学校で得た知識を実際に生かすことができず、またその知識もだらしなく日々をすごしていくうちにだんだんと消え去っていくようで心配です。毎日オフィスで機械のようにつまらない作業を繰り返すばかりです。
居安思危(安定した現状にあって危機を考える)ということわざに全く文句のつけようがありません。現状は同級生よりもずっと安定していますが、もしこのままずるずると暮らしていくと、いつかは社会から淘汰されてしまいます。ここは私が自分の価値を見出すところでないとわかっているからです。あの広くそして清掃された路を行き来する人たちを見ながら、私が力を発揮できる場所があるのかな、と考えたりします。
ひょっとするとこんな風に考えるのは私一人だけではないのかもしれません。この大都会で動き回ってる人たちは、生活のため、人生のため、努力し、耐えていて、楽しいことや苦しいこと、幸せなことや苦しいこと、満足できることや悪夢のようなこと、そんな暮らしをしながらこの社会を形作っているのです……」
高校を卒業したばかりの若者が、一人異郷の地でこれだけのことを考えられるのは立派じゃ。我輩がこの若者の年齢の時には世間知らずのガキじゃったからのぅ。今でも世間知らずなのは変わらんが。
「たいていの人が勉強したことと実際にしてることに共通点がないよね
わからないんだけど
どうしてなのかな」
同じ専攻の人がこの世の中にはうようよとしているのじゃ。その分野でやっていける人はほんの一握りで、その他大多数は誰でもできることをしなければならなくなるのじゃ。つぶしが利く人間になった方がいいぞ。
「北京には人材が集まってくるからね、競争も激しく、物価も高いけど、でもみんな自分の未来のためにがんばってるんだよ、努力と結果が比例しないとしても、がんばったという実感があれば十分だよ。みんながんばろう」
心構えとしては悪くはない。それにしても中国人は一般に句点を使うのが嫌いなようじゃ。
「おんなじ〜みんな一緒だよ
がんばろうぜ」
いい社会じゃないか。
「仕事があるならいいじゃん、おれなんか仕事もなくしちゃったよ。」
いい慰め方だ。
スレ主の登場
「励ましてくれてどうもありがとう。」
心が和むスレになったのぅ。
中国についてなにかを感じたら
ちょっと良い話。