「道徳は廃れたのだろうか?誰が中国の老人を発狂の瀬戸際に追い込んだのだ
ここは河南省の少し豊かな小さな町で、ここの家庭はみなお金持ちとはいえないまでも、豊かな暮らしをしています。殊に年末ともなれば、あそこの家でお嫁さんをもらっただの、ここの家では娘を嫁に出したなど、村には幸せの火花で満たされ、お酒に酔った人たちの笑い声があちこちから聞こえてきて、まるで天国のようです。
ところがみなの笑い声の後ろに打ち消されたため息に気付く人はいません、それは魂の嘆きであり、またここの父親母親たちの言いがたい苦痛でもあるのです......
十数年前、国は計画生育(楼主注:日本で一人っ子政策と呼ばれるものだ)を徹底的に実行したため、ここの人たちは二人三人と女の子を産み、さらに産もうとすれば、罰金で家が破産し、これであきらめれば、血のつながりがなくなり、百年後には当然老人を養っていく人もいなくなります。
不幸なこの世代の人たちは先祖が残してくれたものが女の子たちによって途絶えさせられることになるため、必死に対策を考え、危ない橋を渡ることにして、養子を迎えることで自分の家系を引き延ばし、老後の面倒をも見てもらおうとしているのです。苦労を厭わず、捨てられた男の赤ちゃんがいないか聞きまわり、一生の財産のほとんどを使ってでも、男の子を探そうとしているのです。
天は彼らを見捨てず、ようやく息子となる子供を見つけることに成功して、苦労してこのよそ者の子供を育てているにもかかわらず、心の中は喜びで一杯で、未来が見えたような、あるいは希望をつかみ取ったような気持ちでいっぱいなのです。
経済が猛スピードで発展しているのと同じように、人々の伝統的な考えもどんどん捨て去られていき、男女の結婚という習慣は続いていますが、若い世代がお年寄りの面倒をみるということは道徳の束縛の外側へと追いやられてしまったようです。
農村は特に深刻なのです!老人の面倒を見ることはもうすでに道徳の基準に当てはまらなくなってしまったようです。息子夫婦が両親が一生かけてためた財産を使い切った後、威張り腐って両親を家から追い出す、このような社会現象はもう一般化しています。他人からは指をさされますが、彼らの腐った魂を正しい道に導くことはできません。血のつながった息子でさえこうなのですから、よそからもらってきた息子がどうするかは火を見るより明らかです。
毎日夜を迎えると、息子の家からは幸せそうな笑い声が聞こえてきますが、息子のために一生かけた自分には居場所がなく、心の中の苦痛は自分一人で耐え忍ぶしかありません。不幸にも捨て子を見つけられなかった村の人たちが、娘たちと楽しく老後を過ごしているのを見るにつけ、どれほど後悔してももう後の祭りなのです......」
中国についてなにかを感じたら
震撼を覚えました。
現実問題、今子育てをしている息子の家庭で
親が倒れたとして、親の面倒も見られる家は
どれほどあるだろうか?