2008年06月22日

台湾人として独立のために戦っている人を尊敬するな

まあですが楼主さんは漢人と生活しながら田中宇のコラム見て世界を全て分かってらっしゃるようですからもう何も言いませんけどねw

というあまり感心できない捨て台詞を書いた影丸さんが、また書き込んでくれた。駐日大使に当たる人を召喚した台湾政府より評価できる。ただ、もう何も言わないと言いつつ汚い言葉づかいで再び書き込むやり方をみて、以前にも似たような人がいたことを思い出した。興味のある人はharuという中国留学生を読んでいただきたい。

そんな血筋の話をしてるんじゃなくてアイデンティティの話をしてるんですよ。 例え血筋が他にあろうとその郷土で生まれ育ってここの人間だという強い意識があれば その郷土人だと見て何がおかしな感覚ですか?

たいていの日本人にとってはおかしくないと思う。しかしたいていの漢人にとってはおかしな感覚だ。国籍に意味がないわけがないに書いたことを引っ張る。

我々は例えば日系ブラジル人や中国残留孤児などはもはや同胞などと思っていないのが普通だが、漢人は移民して何世代になろうとも中華人民共和国あるいは中華民国を心のよりどころにし、それが漢人社会からも受け入れられている

日本人にとって大切なのは住んでいる日本という場所だが、漢人にとっては現在住んでいる場所よりも漢人として先祖代々受け継いできた血筋の方が大切だということだ。

また

台湾人として独立のために 戦っている人を見ると尊敬できる。

というのには首を傾げるしかない。感覚的にとらえやすくするために、立場を変えてオハナシをしてみよう。

続きを読む
posted by 楼主 at 10:06 | Comment(9) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年06月24日

たけのこじまのおはなし

むかしむかしにほんとかんこくのあいだに、たけのこじまとよばれるちいさなしまがありました。たけのこじまには、かげまるさんいっかがつつましくもしあわせにくらしておりました。

そんなあるひのこと、たけのこじまに、ろうしゅというみすぼらしいかっこうをしたおっさんが、にほんからやってきました。このおっさんがかわいそうだとおもったこころのやさしいかげまるさんは、ものおきとしてつかっていたへやにおいてあげることにしました。

ところが、このおっさんはものおきのへやだけではまんぞくせず、ものおきのへやをじぶんでつかいながら、いつのまにかそのとなりのへやでねおきするようになりました。

そしてしんせきやらしりあいやらをたけのこじまにつれてきて、かげまるさんのいえやはたけ、さかながあつまるつりばなどをすこしずつうばっていきました。

そうこうしているうちに、たけのこじまは、にほんせいふからかんこくにぷれぜんとされてしまいました。かんこくせいふは、たけのこじまでえたものをかんこくにおくるため、たけのこじまをはってんさせようとがんばりました。そのおかげでたけのこじまは、けいざいてきにもえいせいてきめんでもおおきくかいぜんしました。ただ、かんこくごをつかえときょうせいされました。

そしてあめりかというとおいくににまかされたかんこくは、たけのこじまからさっていきました。たけのこじまはにほんのものだということになったからです。

しかしにほんではいくさがおこり、たけのこじまはわすれられたもおなじでした。

しばらくすると、にほんでのいくさにまけたさむらいたちが、たけのこじまにやってきました。かたなやゆみやをぶきにもつさむらいたちは、かげまるさんいっかやろうしゅたちをけちらすようにしてたけのこじまにすみつきました。いつかはにほんにもどっててんかをとってやると、こころにちかいながら。そしてたけのこじまではかんこくごをつかうことがきんしされました。

げんざい、たけのこじまにはひゃくにんものひとがすむようになりました。ひゃくにんのうち、ろうしゅたちがはちじゅうごにん、さむらいたちがじゅうさんにんで、かげまるさんのかぞくはふたりしかいなくなってしまいました。

そんなあるひのこと、うわさにきくせんきょというのをたけのこじまでもやってみるべ、ということになりました。かげまるさんいっかからは、りっこうほをだすことすらかなわず、せんきょのけっか、たけのこじまのかしらとしてえらばれたのはろうしゅでした。

ところがろうしゅはじぶんのりえきしかかんがえなかったため、つぎのせんきょではさむらいたちのなかからかしらがえらばれることになりました。

げんざいろうしゅは、たけのこじまをひとつのくにとしてみとめてもらおうとがんばっていますが、たけのこじまにいるひとはほとんどがいまのままでいいとかんがえています。

ふしぎなことに、かんこくにはろうしゅをおうえんするひとがたくさんいて、「ろうしゅさんをそんけいする」というかんこくじんもいるようです。

めでたしめでたし。

え?かげまるさんいっかはどうなったのかですって?

ではろうしゅをそんけいしているかんこくじんにきいてみましょう。

「そんなことはもうどうでもいいですよ。ろうしゅさんたちが、たけのこじまじんというあいでんてぃてぃーをもって、にほんじんやにほんじんのてさきであるさむらいたちとたたかっているのがとうといのです。このようなすうこうなしめいにくらべれば、かげまるさんのかぞくなんてとるにたりません。かんこくじんがうしなってしまったかんこくじんだましいを、ろうしゅさんにかんじます。がんばってください!おうえんしています!」

さて、ろうしゅは尊敬に値する人物だろうか。ろうしゅは楼主と同様、尊敬には全く値しない。理由を書こう。

続きを読む
posted by 楼主 at 10:48 | Comment(6) | TrackBack(1) | 嗚呼日本

2008年06月25日

ミイラ取りがミイラになってはいけない

西さんが書いてくれた

楼主さんと影丸さんはお互いの発言に対して、互いにズレていると感じているのではないでしょうか。お互いの『台湾』に対するとらえ方が違うから、いくら言葉を尽くしても平行線だと思います。

というのは一理ある。だが、我輩が考えるより本質的な違いは、やさしい心をもつかどうかということだ。影丸さんはやさしい心をもっているが、我輩はすれっからしだということだ。これについては追々説明していく。

さて、影丸さんがこう書いてくれた。

台湾人のアイデンティティを歓迎し協力して馬政権に圧力をかけ、またチベットウイグルを支援する。これが日本の必要な立場と考える。漢人に近い楼主さんは腹立たしいだろうが理解してもらいたい。

もしこれが、我が国の国益のために、台湾の独立運動を利用し、チベットの独立運動を利用し、ウイグルの独立運動を利用するという意味だとしたら、その目的には大いに賛成する。その手段には賛成できないが、この際それは棚上げしておく。

グローバル化しつつあるこの地球上では、国が大きな意味をもつことを金さんにとって中国という国家が意味をなさなくなる時と題して書いたことがある。我々日本人にとって、他の国や地域よりも大切なのは日本である。なんだか当たり前すぎてアホかと言われそうだが、まずこのことを強調したい。

他国や他の地域を観察そして分析し、政治的あるいは経済的あるいは心情的に我が国のために利用する。これは、我が国がこの世界で生き残っていくために、当然必要なことである。

ただ、観察そして分析していく過程で、その対象にのめり込んでしまい、心情的に一体化してしまうと、ミイラ取りがミイラになってしまう恐れがある。

台湾独立運動をしている人たちの考えに賛同し、あまつさえ尊敬までしてしまうのは、我が国の国益にならない。仮に台湾が我が国に侵略してきた場合、尊敬する人には銃を向けたくなくなるだろう。これは戦争という極端な状況でだけ問題になるということではない。別の例を挙げよう。

Aさんは今年60歳、日本人だ。Aさんは台湾に何度も旅行そして出張に行っている。台湾が心のふるさとだとまで言っていた。台湾人に騙されるまでは。

続きを読む
posted by 楼主 at 12:06 | Comment(15) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年06月26日

内政干渉は止めたまえパート2

西さんが混血について書いてくれたが、それと漢人とは矛盾しない。福建人や広東人の中には、外見だけですぐに福建人や広東人だとわかる、つまり血筋が例えば北京人とは明らかに違う人たちがいる。ある日本人は「なんで広東には猿から進化してないような人が多いんだろうね」という感想を話していた。これは血筋も言葉も違うのに一つの民族を形成しているケースだ。

そして反対のケースもある。つまり、血筋も言葉も同じだと思われるのに、違う民族だと認識しているケースだ。漢人による完全乗っ取りが目前に迫った台湾

ふと、漢人の中にまぎれてフィールドワークに行った時のことを思い出した。原住民(何族に属するかは省略する。少々複雑な事情が彼らにはある)のある老人が昔話を、台湾でいうところの北京語で聞かせてくれたが、その中で「私たちは日本人のことを猿と呼んでいましたよ。はっはははは」という一幕があった。

と書いたが、実はこの老人たちがこのケースに当たる。

人類学(自然人類学と文化人類学の両方)の学者は、この老人たちがタイヤル族に属するという研究結果を出しているが、彼らはそんなことにはお構いなしで、自分達は独立した民族だと主張している。もちろん漢人と思われる人の中にも、自分が漢人ではないという人もいるかもしれない(我輩は出会ったことがないが)。トルコ人とギリシャ人なんて外見からは区別できないし、コーヒーを全く同じ飲み方で飲んでるくせに、異なる言葉を話し、全く異なる民族を形成している。

影丸さんの意見は、本省人はすでに台湾人としてのアイデンティティーをもち、新しい民族を形成している、そして原住民は本省人の考えに大賛成だということだ。飛び地さんが書いてくれた

素直に考えれば原住民は日本人支配も漢人支配も嫌なはず。と思うけれども。

というのは影丸さんから見れば全く素直でもなんでもない。我輩は飛び地さんの見方が自然だと思うが。

さて、中国では「中華民族」などというわけのわからない言葉が使われ、これには影丸さんが書いたウイグル人やチベット人が含まれる。異民族を「中華民族」という名の下に、漢人にゆっくり同化させていくのが中国共産党の狙いだ。

つまり、台湾では「台湾人」として、中国では「中華民族」として異民族を漢化させつつあるということだ。

歴史を振り返れば、今の福建や広東や台湾などは元々異民族が住んでいた土地だ。福建と広東はすでに漢化運動が完了し、元々は異民族であった地元の人たちが、自分を漢人だと思うようになった。民主主義というイデオロギー

我輩のある知り合いは少数民族だが、身分証をもらうまで自分が少数民族だとは知らなかったという。御両親も民族語を話すことができず、その知り合いもそれまでは自分が漢人だとおもっていたそうだ。

と紹介したこともある。ちなみにこの人は貴州の人だ。そして台湾でも漢化運動の完成が目前に迫っている。

不思議なことに、この漢化運動を応援しているのは、影丸さんから漢人に近いとの評価をもらった我輩ではなく、影丸さんだ。我輩はまだまだ漢人になる資格がないようなので、もっと精進せねばいかんのぅ。

続きを読む
posted by 楼主 at 12:02 | Comment(4) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年06月27日

国際法って?

YouTubeを見ていたら、櫻井よし子「あなたのおっしゃるアジアってどこの国のことかしら?」というのをみかけた。



内容が素晴らしいのは言うまでもないが、この人の話し方により大きな感銘を受けた。

我々日本人は一般に議論を避ける傾向があり、そのせいか議論が下手なことでよく知られている。議論=喧嘩になってしまい、まともに議論ができなくなってしまうことがしばしばだ。この意味で影丸さんは典型的な日本人だといえる。

さて、

島根県の例えは、日本国領土である島根県に元韓国人が独立運動を始めたとある。 国家内に国家を作る行為に他ならない。 それがなんで中華人民共和国の領土ではない台湾の事例に当たるのか。

という主張はもう聞いているので、だからこそわざわざ影丸さん自身が書いたウイグルやチベットを考慮しつつ答えてほしいと書いたのだが、聞く耳をもたないようだ。

上海人も広州人も独立した国家を形成してやってきていない。

というのはチベットも同じことだ。

もしやチベットが中華人民共和国の領土ではないということなのだろうか。もしそうなら、影丸さんが何を基準に判断しているのか興味深いところだ。

チベットと例えば広東の違いは何かといえば、漢人に侵略され占領された時間の長さにすぎない。広東には漢人ではない人たちが住んでいたのが、今ではもうすっかり漢化されてしまったということだ。上海あたりも、元々は今でいう苗族が住んでいたという話を聞いたことがある。もしこれが事実なら、上海は広東よりも先に漢化された地域ということになる。そしてチベットと台湾を比べると、台湾の方が漢化の程度が高い。台湾原住民の立場から言えば、絶滅の危機に瀕しているということだ。

台湾の原住民に対して

彼らの本省人と呼ばれる連中への排外運動やその民族の独立運動が認識出来るレベルで見れない。チベットのように苛烈な訴えもない。あきらかに中国より台湾のほうが統治が暴力的でなく自由に発言出来るのに。もし本省人に大反対ならばデモぐらいは出来るだろう。それともそれらの行為は台湾の国家分裂罪なるものがあって出来ないのだろうか。

と仰るが、たったの2%しか残ってない人たちに、しかもその2%の中に異なる民族がいくつもあって団結が難しいということを無視しての発言は、原住民に対して冷たすぎる。せめて影丸さんが本省人に注ぐ愛情の2%ぐらいは原住民にも注いでもよさそうなものだ。

上海人も広州人も独立した国家を形成してやってきていない。

ということに関してさらに言うと、興味深い逆転現象がある。台湾が現在の地位を獲得できたのは、影丸さんが嫌う外省人のおかげだということだ。仮に外省人が武器をもって台湾に逃げ込んでこなければ、台湾も上海と同じように、中国の一部となっていたであろう。この意味で、影丸さんは外省人に感謝すべきだ。とはいうものの、原住民にとっては我々日本人も、本省人も外省人も、同じ穴の貉にすぎないだろうが。

続きを読む
posted by 楼主 at 10:27 | Comment(5) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年06月28日

冗談のような国際司法裁判所の管轄権

ぽーさんの講義内容から判断するに、

中国人が靖国に関して批判したり文句を言ったりというのは内政干渉に当たらないという事です。
中国政府が日本の要人の靖国参拝を止めさせる為(干渉する正当な理由無く)政治的経済的圧力などを行使した場合は内政干渉に当たります。

ということは、つまり条約を批准する主体はある国の政府であり、したがって、内政干渉をする権利(おかしな使い方だが)があるのは政府のみだということだろうか。経済的圧力をかけることができるのは政府だけではないが、逆から言うと企業でも個人でも経済的圧力をかけることができるが、それは内政干渉には当たらないという理解で正しいだろうか。簡単に言うと、個人が他国に内政干渉することはあり得ない、と。

ところが、ウィキペディアの国際法にある現代国際法への移行には

現代では、国際人権法、国際人道法に見られるように、個人も権利・義務の主体として位置づけられるようになった。

とある。

わけがわからなくなってきた。日貨排斥という経済的圧力を伴った靖国神社参拝への反対運動は、内政干渉に当たるのだろうか、当たらないのだろうか。

次に

中国はジェノサイド条約を批准しており、その2条におけるa〜e項目全てに違反しています。

というのは、我輩から見ても違反していることが明らかだが、残念ながら我輩にはそれを違反だと裁く権利がない。では誰が裁けるのか、そして裁いたとしてその結論を誰が中国に強制執行させられるのか、というのが我輩の大きな疑問点だ。

仮に我輩がぽーさんから財布を盗み、その瞬間がビデオに撮られていたとしても、我輩の行いを法律に照らして裁ける機関がなければ、また裁いた内容に基づいて強制執行させる機関がなければ、そんな法律には意味がない。そして国際法の意味のなさは、これと同じことだというのが我輩の主張だ。

第1部 国際法って何?

国際法は一般の法律と違って強制力がありません。そのため、国際法は法律ではないと唱える学者も数多くいます。その理由として、国際法は大国によってしばしば無視され、違法状態が放置されるからといいます。

とあった。なるほど、我輩の考えが必ずしも全くの的外れではないということだろう。そしてこれはporeporeさんからの

「明確な罰則規定をはじめ、国際法の枠組み作りの根幹であるルールの法体系が未熟ないし、著しく欠陥を抱えているというのなら無きに等しい」という主旨なのでしょうか?

という質問の答えにもなっている。

続きを読む
posted by 楼主 at 11:01 | Comment(9) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年06月29日

モラルでは竹島を取りかえせない

櫻井よし子という人に対して、我輩がより大きな感銘を受けたのは彼女の話し方だった。彼女は声を荒げることなく、相手をバカにしたり揶揄したりすることもなく、ゆったりと、しっかりと自分の考えを相手に伝えていた。youtubeで様々なテレビ番組を見ることができるが、話し方あるいは態度という点では彼女に及ぶ人を見かけることができなかった。

幸いなことに、このブログにも、poreporeさんやぽーさんのように冷静に書き込みをしてくれるひとがいる。内政干渉に関して全く頓珍漢なことを書いている我輩に対してでさえ、ぽーさんはバカにすることなく事実を基に訥々と諭してくれている。

こんなにありがたいことはない。ブログをやってきてよかったと思う瞬間でもある。

さて、内政干渉は国対国というレベルの事柄で、それ以外は内政干渉になりえないということをぽーさんに教えていただいた。ぽーさん、ありがとう。以前に書いたものは、我輩の無知をさらしておくために、敢えて修正しないでおこう。

内政不干渉の原則は、長野での動員状況を見れば明白なように、我が国よりも中国に有利に働く。中華人民共和国あるいは中華民国が、民間団体あるいは民間人を動員して、我が国の政治に口を出したとしても、それを咎めることができないのだから。日本人を洗脳する台湾政府に書いたように、彼の国は日本人に対してさえ洗脳教育を施そうというのだから、自国民を動員するなどわけもない。恐ろしい話だ。

別の話題になるが、国際法についてぽーさんに質問したい。

明文化されたルールである条約と、ルールとモラルの中間にあるような慣習法が混在した国際社会的規範が国際法なのです。

慣習法がモラルで国々に対して圧力をかけるものだとすると、条約は何をもって国々に圧力をかけるのだろうか。国際司法裁判所があることから、モラルによるものではなく、強制力によるもののようにみえるが、実際はいかがなものだろう。

いずれにせよ、モラルに頼っていれば、我が国の領土である竹島や北方領土が還ってくるというのなら大いに賛成しよう。しかし我輩からみると、それは我が国の憲法第九条と同じように夢物語に過ぎない。

ボノが日本の支援を賞賛、安倍首相は「イケてる」で紹介したように、我が国は各国でものすごい人気を獲得している。これは、ぽーさんがいうところの

パワーとは直接的で目に触れやすい物ばかりでは無いのです。

がいい方面に現れた実例だろう。

しかし、我が国が立派にふるまおうと努力し、そしてそれが各国で認められていても、竹島は還ってきていないし、北方領土も還ってきていない。ウィキペディアで北方領土問題をみると、アメリカも欧州会議も我が国を支持しているようだが、北方領土は相変わらずロシアが占領している。

続きを読む
posted by 楼主 at 11:51 | Comment(11) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年06月30日

輝かしい憲法第九条の精神

みなさんは、我が国の憲法第九条について、どのように考えているだろうか。

日本国憲法から引用する。

第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

なんと立派な考え方であろうか。全ての国がこれを守れたら、戦争がなくなる。戦争を放棄するのだから、戦争がなくなって当然だ。

しかし、戦争を放棄していない国々に囲まれている中で、我が国だけが戦争を放棄してしまったら、他国のいいなりになるか他国に占領されるのがオチだ。実際、我が国はアメリカのいいなりになっている。仮にアメリカ軍が我が国から撤退したら、次には中国のいいなりになるだろう。

憲法第九条の考え方はすばらしいが、実務上は役に立たないどころか、我が国にとって害にしかならない。したがって、我輩は憲法第九条の精神である、戦争の放棄を放棄することを主張する。

簡単にいえば、理想よりも現実を採るということだ。

そして同じ考えで、ぽーさんの

不法占拠者はそこを使えるでしょう。
しかしながら、持ち主は誰かと言うと日本でしか無いのです。

という考えに異議を唱える。

我が国の領土である竹島を、不法占拠者である韓国が使っている、しかしながら国際法上の持ち主は日本だ。ふむふむ、なるほど。しかしそんなのは我が国にとって何の慰めにもならない。それなら、ある場所は国際法上他国の領土だが、我が国が勝手に使っているという逆の立場の方がよほどマシだ。

仮に楼主というおっさんが、ぽーさんの家を不法占拠し、勝手に使っているとしよう。ぽーさんは「自分の家を使うことはできませんが、法律上は私のものですから構いませんよ」と固定資産税だけはしっかり支払い続けるのだろうか。いや、固定資産税はここでは関係のない冗談だが。

そしてモラルに反したことをしていると、

白い目で見られるという事は、究極的には経済・外交関係の閉鎖、鎖国を意味します。

というのも、実は理想あるいは空想にすぎない。もともとお互いに信用していない人たちの間では、モラルは機能しない。

漢人社会はお互いに信用していない社会の一例だ。ある有名チェーン店が、汚いトイレでケーキを作っていたことが明らかになったが、そのチェーン店の信用が失墜したなんてことはなく、今でも人気を博している。初めから信用なんてないのだから、失墜のしようがない。大きな視点で見れば、論語というモラルで社会を安定させようと2000年ほどやったが失敗に終わった中国の歴史を見れば明らかだろう。

製造年月日の偽造が問題になる社会で暮らしている日本人にとっては想像するのさえ難しいかもしれないが、漢人社会で貸した金が返ってこない場合、白い目で見られるのは貸した側だ。よく読んでほしい、白い目で見られるのは借りた側でなく貸した側だ。この理由は「他人なんて信用できないのが当然なんだから、他人を信用して金を貸したお前がバカだ」ということだ。ここではモラルは機能しない。

続きを読む
posted by 楼主 at 14:17 | Comment(7) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月01日

世界で大人気の中国

ぽーさんの

「基本的に」国際法の枠組みの中にいるべきだとは思います。

という意見に異論はない。そして「基本的に」ということは、「全てではない」ということでもある。

科学ではなく政治が支配する国際捕鯨委員会を読んで、我輩がまず感じたのは「正に国際社会の縮図だ」ということだ。

国際社会が、低信頼社会だということに誰も異議がないようなので、これを前提に話をする。

漢人社会で貸した金が返ってこない場合、白い目で見られるのは貸した側だ。よく読んでほしい、白い目で見られるのは借りた側でなく貸した側だ。この理由は「他人なんて信用できないのが当然なんだから、他人を信用して金を貸したお前がバカだ」ということだ。

これをもじっていえば、他国を信用して国際捕鯨委員会で科学調査の結果が決議に反映されるなどと期待するのはバカげている。

同様に、国際法=モラルを守ってれば竹島や北方領土が還ってくる(ぽーさんの言葉でいえば、実際に使えるようになる)と期待するのはバカげている。

それでも国際法を守っていれば、全体として我が国の国益になるというのがぽーさんの主張のようだが、国際法を守っているだけでは何の利益にもならない。そして国際法など守らなくても、国力さえあればやり放題であり、実質的に他国から圧力もかけられないというのが国際社会の仕組みだ。

中国はジェノサイド条約を批准しており、その2条におけるa〜e項目全てに違反しています。

チベット人を虐殺したり、毒入りのギョーザを輸出したり、毒入りのおもちゃを輸出したり、他国の領海を侵犯したりとやり放題の中国だが、それでも中国はサウジアラビアをはじめ中東で大人気だし、ロシアとも結びつきをどんどん強め、パキスタンとは蜜月状態で、世界中から観光客を集めているのが現実だ。

poreporeさんが紹介してくれた数字をよく見てみよう。

・中国に対する見方 ――p35

アメリカ    好ましくない 42%   好ましい 39%
イギリス    好ましくない 36%   好ましい 47%
フランス    好ましくない 72%   好ましい 28%  
ロシア     好ましくない 30%   好ましい 60%
トルコ     好ましくない 50%   好ましい 24%
エジプト    好ましくない 29%   好ましい 59%
ヨルダン    好ましくない 52%   好ましい 44%
パキスタン   好ましくない 08%   好ましい 76%
インドネシア  好ましくない 34%   好ましい 58%
オーストラリア 好ましくない 40%   好ましい 52%
韓国      好ましくない 49%   好ましい 48%
インド     好ましくない 45%   好ましい 46%
日本      好ましくない 84%   好ましい 14%
ブラジル    好ましくない 40%   好ましい 47%
南アフリカ   好ましくない 51%   好ましい 37%

中国が好ましくないと感じているのは、日本がトップで84%、次がフランスで72%、三位がヨルダンで52%となっている。我々は中国がひどい国であり、それが世界の常識だと思っているが、実はそれが非常識だったと途方に暮れてほしい。

つまり国際社会では、国際法=モラルが機能していないということであり、頼るに値しないということでもある。

続きを読む
posted by 楼主 at 11:19 | Comment(20) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月02日

韓国では八方美人が褒め言葉

これまでに述べてきたように、国際社会という低信頼社会では国際法=モラルが働かないというのが我輩の意見だ。したがってぽーさんの意見に賛成できない。しかし、あくまでも国際法=モラルに則った解決を目指すぽーさんの主張に、すがすがしいものを感じる。国際法=モラルに対する意見は合わないが、話し合うに足る人物だ。これからもぜひ我輩の間違いをどんどん指摘していただきたい。

「きれいごと」で相手のホンネは読めないから引用する。

 イタリアの思想家マキャベリは、『君主論』の中で、次のように述べている。

信義を守って、奸策を弄ろうせず、公明正大に生きることは称賛に値しよう。だが、現実の世界を見ると、信義など露ほども意に介さずに、奸策を用いて相手の頭脳を混乱させる人のほうが、大きな成功を成し遂げている。結局は、ずる賢く立ち回っている人のほうが、信義に基づく人を圧倒できるのだ。

 まさに筆者がいわんとしていることを見事にまとめている。人を心服させたいと思うのなら、信義やら、正義やらを振りかざしていてはダメなのだ。

 日本人は、「うまく立ち回ること」を軽視し、むしろ侮蔑することさえあるのだが、仕事で成功しているビジネスパーソンは、だいたい同じようなテクニックを無意識的に使っているものである。

Kさん、我々日本人が漢人に見習うべきことが何なのかをここから読み取ろう。そして「八方美人」を褒め言葉として使う韓国人に見習うことも必要かもしれない。

続きを読む
posted by 楼主 at 12:12 | Comment(9) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月04日

自衛隊員はロボットではない

大学院で学生をしている時でさえ、我輩はある体育会系の組織でチームリーダーとして練習に励んでいた、というよりも、試合に出たいがためにわざわざ大学院まで行ったという方が正確だ。スポーツでの推薦制度がない大学で、我々がどんなにがんばってもプロになれるわけではない。それでは我々は何を求めていたのだろうか。それは栄誉だ。誇りに思う母校の代表チームの一員として、母校のために栄誉を勝ち取ることだった。大学も代表チームを支援してくれたし、学生も代表チームを応援してくれた。我々は、母校代表としてのユニフォームを着ることを誇りに感じていた。もちろん当時のユニフォームは今でも大切に保管してある。

仮に大学に代表チームとして認めてもらえず、学生にも「おまえら勉強もせず何バカなことやってんだ」と白い目で見られていたとしたら、我々は代表チームの一員として誇りを感ずることはできず、ましてや母校のために栄誉を勝ち取ろうなどとは思わなかったであろう。

さてporeporeさんは、件の著書の作者の一人が書いたと思われる「憲法はそのままで、でもいざとなったらその憲法を無視して自衛隊に戦わせる」という意見に賛成のようだが、なんだか自衛隊員がロボットであるかのような違和感のある主張だ。自衛隊員は感情をもち、判断力も備えた人間だ。ごく少数に任務を執行させるのならそれは可能だが、集団として事に当たらせるには無理がある。

また、普段から非難されているのだから、いざとなった時に非難されても任務執行に問題ない、というのも不思議な話だ。いざという時に頼りになるのは、普段からの訓練だ。ところが、普段から非難されている状態でやる気が出るわけがない。

いざという時にしっかり動いてもらうために、普段から非難されるという不健全な状況を改善しようというのが我輩から見ると自然だ。アメリカで軍人が優遇されるという話があったが、それは中国でも同じだ。いざという時には、この世で最も大切なものである自らの命を賭してまで他人を守ろうという覚悟をもって日々を暮らしている人たちに対して、何の優遇もない方がよほどおかしい。

続きを読む
posted by 楼主 at 14:13 | Comment(4) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月07日

日本が沈没したら日本の難民を受け入れますか?

元スレはここだ。

「もし日本が沈没したら、2000万の日本の難民を受け入れますか?

これは2006年7月15日に上映された日本の災難を描いた映画で、日本が沈没して、沈没を目の前にした日本が国際社会と周辺の大陸国家に救助信号を発して、2000万にも上る難民を受け入れてくれるように求めたという単純なストーリーです。日本人が撮影した時の結論は、日本の首相は不可能だと考えていましたが、でも中国政府が受け入れに応じたということでした。

 こういう意見がありました。2006年に撮影が始まったということは、ちょうど反日の機運が高まっていたころで、それにもかかわらずよくこういう結論が出せるものだと感心します。もちろんこの映画がもたらす効果については、中国にプラスだということは間違いありません。ただ日本人がヨーロッパとアメリカ人に対する見方はとても客観的ですけど、漢人に対する態度には微妙なものがあると思っています。

 唐のころから、日本人はずっと中国を見習っていて、和服でもいいですし、日本語でもいいですし、中国の文化の影響をもろに受けています。ただ明治維新以後から、日本は国力をつけて、中国に対する感情が尊敬と畏怖の混ざったものから一気に見下したり威張ったりするものに豹変しました。これをたとえてみると子供が大きくなって、大人の手から自分のほしいものを奪いたくなるのと同じだと思います。八年抗争といいますが、私たちは最後に勝利を得たのは間違いありませんが、この八年間に、日本人がどれほどのものを奪っていったのでしょうか?

 『歴史を忘れてはいけない、しかし恨みは忘れなさい!』という言葉はもう亡くなった南京大虐殺の生存者だった李秀英が若者に残したものです。そして今年に入ってネット上でよく見かける言葉でもあります。今回の四川大地震で、日本の救助隊が亡くなった親子に対して敬礼し黙祷を捧げた時、この人たちは我々が深く憎み続けた日本人だと、誰が言えるのでしょうか。彼らは私たちの軍人と同じく、尊敬できる人たちだったのです。

 友人の実家のあたりは日本人に占領されたことがある地域で、しかもすぐ近くに中国の物資を日本に運送するための飛行場が作られたそうです。村の老人が覚えていることは日本人にいつも飴をもらっていたということです。日本人がいなくなった後、飛行場は取り壊されて、今では住宅地となっています。飛行場の跡かたもないのですが、いまでもその一帯は飛行場と呼ばれているそうです。資源が奪われ、家族が殺されてた歴史をしっかり今に伝えていますが、ここには憎しみがなく、この人たちの態度を、以前は理解できませんでしたが、今では感服しています。

 日本が沈没したという話題から四川の被害者をどのように避難させるかということに思いが至りました。少し前には四川の被害者を受け入れるかどうかに関して素晴らしい議論がネット上で交わされました。受け入れるべきでしょうか、受け入れるべきではないのでしょうか?中国の伝統的な戸籍制度が、大きな制約となりました。被害者が別の都市にやって来て、新しい戸籍をもらうことができました。でもそれなら同じ都市で何年もがんばってきた人たちには戸籍を与えず、被害者にはすぐ戸籍を与えるという不公平があります。同じように、もし日本人を受け入れたら、この日本人はこれからは中国人なのでしょうかそれとも日本人なのでしょうか?中国では先祖代々つながってきたという伝統が千年以上も続いているのです。

 私は平凡な漢人として、もし日本が沈没したら、私の家に受け入れても構いません。自然の力の前では、人類は弱者なのですから、団結すべきだと思います。それ以外のことは、政府と政府との談判と交渉に任せます。私は平凡な一般人で、本能に従って生き、平凡なことをするだけです。」
続きを読む
posted by 楼主 at 11:57 | Comment(13) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月08日

人類全体がマイナス思考?

昔の話になるが、我輩は台湾で雑誌の編集に携わっていた。読者から電話をもらうことがしばしばあったが、たいていが批判される内容のもので、褒めてくれるものなどほとんどなかった。割合は99対1といった感じだった。これだけをみると、この雑誌はもう売れるはずもないように思えるが、実は圧倒的なシェアを誇っていた。

我輩の経験から言うと、人間はプラスのことに対して行動することが少ないが、マイナスのことに関しては行動を起こしやすい。

社員の給料を1000元上げてもあまり感謝されず、しかし100元でも下げようものならものすごい反発が返ってくる。逆の立場から言えば、仕事をうまくやっても上司からはありきたりのほめ言葉しかもらえないが、失敗すればものすごい批判が待っているだろう。

ある会社が立派なことをして、それがAテレビ局で放送された場合、Bテレビ局では放送しないことが多い。しかし、ある会社が不祥事を起こして、それがAテレビ局で放送されると、Bテレビ局どころか全てのテレビ局が寄ってたかって報道する。

政府が良いことをしても何の反応もないが、少しでも気に喰わないことをされると怒り狂う。韓国の牛肉問題をめぐる騒動をみてほしい。あれは極端な例だが、我々も五十歩百歩だ。

西さんが書いてくれた

他の日本人旅行者からは、ここでは「中国=侮蔑」だよと教えられました。
特に旧ソ連、東欧がひどかった。
バスに乗っているだけで、「中国人」と押される。

という内容を分析すると、上に書いたような現象と同じだと気付くだろう。つまり、中国人に好意をもっている人はそれをなかなか行為に表さないが、嫌悪感をもっている人はそれを行動に移しやすいということだ。

もちろん表面化したものだけが全てではないことは、上で例を挙げたとおりだ。

続きを読む
posted by 楼主 at 13:28 | Comment(4) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月09日

中国人を異常に嫌う日本人

不思議なことに、我々はプラスの事柄に対してはいいことがあったという記憶しか残らず、その時の感動を心の中に取り戻すことは難しい。しかし、マイナスの事柄に関しては嫌なことがあったという記憶のほかに、その時のいやな気持さえ蘇らせることができる。

我輩はアポロ13という映画を何度かみてそのつど感動したが、あの感動をいま心に蘇らせることができない。一方、数十年前にある試合で我輩が大きな失敗をした時のことは、当時の嫌な感覚とともに思い出すことができる。

トラウマという言葉で心の傷を表すが、それに対する心に残る感動を表す言葉がない、あるいはあったとして、トラウマという言葉ほど知られていないことが、上に書いたようなことは、我輩一人のものではないことを示している。

そして自分の感動を他人に伝えるのは至難の業だが、自分が経験した嫌なことを他人に伝えるのは容易だということも思い出そう。

仮にこれが人類全体の傾向だとすると、西さんの

「好き」、「嫌い」の選択って、ものすごく嫌いじゃなければ、「好き」を選ぶと思う。

という意見には残念ながら賛成できない。二者択一の場合、人間は「嫌い」を選ぶ傾向があるはずだ。

Aというエジプト人が北京を旅行したとしよう。万里の長城や紫禁城の雄大さに感動したが、ガイドに連れていかれた土産物屋で高い買い物をさせられた。さて、Aが帰国してから知り合いのBに北京旅行の話をした場合、Aが話の達人でない限り、万里の長城や紫禁城の雄大さをBに伝えることができないが、高い買い物をさせられたという事実と嫌な気分をBに伝えることが可能だ。そしてBがCにAの北京旅行の話をする段階になれば、もう高いものを買わされたということしか残っていないだろう。なにしろBはAの万里の長城に対する感動を共有することができないのだから。

つまり北京に行ったこともないBやCやその先のDEFGH...などは北京あるいは中国に対してマイナスの印象をもつことになる。そして「好き」、「嫌い」の二者択一となれば、「嫌い」を選ぶ確率が高くなるだろう。

続きを読む
posted by 楼主 at 12:36 | Comment(14) | TrackBack(0) | 嗚呼日本

2008年07月10日

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

香港を見るとよくわかるが、イギリスは統治がうまい。原因はいろいろあるのだろうが、我輩が感じるのはイギリス人は香港人を自分たちとは全く別の人間だと割り切っていたということだ。だから香港人に過度に感情移入することなく、距離を保って香港人と接することができたのだろう。

翻って満州や韓国や台湾を統治していた頃の我が国を思い出してほしい。名前を日本風に変えさせ、全員に日本語を強制した。これは良くも悪くも日本人との一体化を求めたということだ。

西さんが書いてくれた

そういう優しさの余裕が一般の日本人にはありますが、中国人はどうでしょう??

というのも同じ線上にある。俺たちにできるんだからお前らにもできるはずだ、という期待がベースにあるからこそ、それを裏切られたときに反感を覚えるということだ。期待していなければ、裏切られたと感じることもなければがっかりすることもない。

楼主、私は中国語を理解し、硬座で、中国を旅したりしました。仕事も中国関係です。また、中国映画、ドラマ、歌など大好きで積極的に聞いています。
そういう私でさえ嫌いになってしまうのは、私の責任でしょうか?

西さんならご存知だと思うが、中国では「アメリカに留学した人はアメリカが好きになるが、日本に留学した人は日本が嫌いになる」とよくいわれる。

One World One Dreamという北京オリンピックのスローガンに我輩は吐き気を覚えるのだが、お互いに相手が自分とはまったく違う人間なのだと割り切ることから始めてみるのはいかがだろう。

イギリス人は恐らく香港人を猿のようにしか考えていなかっただろうが、過度に感情移入したりされたりするよりは、いい結果をもたらしたはずだ。poreporeさんが紹介してくれたhttp://pewglobal.org/reports/pdf/260.pdfをみると、中国を嫌う割合が高いフランスとドイツでさえ、中国人を嫌う割合はそれほど高くないのがわかる。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という状態から日中両方の国民が脱却できるかどうか、これからが楽しみだ。

続きを読む
posted by 楼主 at 11:00 | Comment(14) | TrackBack(0) | 嗚呼日本
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。